北条高時.com

うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

大政奉還150周年。あらためて徳川慶喜の政権構想について考えてみた

今日は平成29年10月14日。いまからちょうど150年前の慶応3年10月14日(1867年11月9日)は、15代将軍の徳川慶喜が大政奉還を朝廷に上奏した日じゃ。

姉川の戦い…野も田畠も死骸ばかりに候

だいぶ間延びしてしまったが、昨年末の浅井長政史跡巡り備忘録の続き。今回は姉川の合戦についてじゃ。滋賀県長浜市野村町、姉川にかかる野村橋の北側に「姉川古戦場跡碑」がある。このあたり、戦国時代に織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が雌雄を決した…

映画「関ヶ原」〜東出昌大さん演じる小早川秀秋に胸熱

湘南テラスモールで、映画「関ヶ原」をみてきたので、今回はその感想。じつは一瞬、「あさひなぐ」にしようかと思ったんじゃがな。ネタバレもあるかもしらんが、まあ、関ヶ原の合戦自体はすでに史実でみんな知っておろうから、気にせず書くとしよう。

「おんな城主直虎」、あの神回の衝撃からようやく落ち着いてきたので、感想を書いてみた

みなは大河ドラマ「おんな城主直虎」はみておるか? あの小野但馬守政次が次郎様に槍で処刑された「神回」の衝撃から、ようやく正気を取り戻したので、今日はこれまでの感想などを書いておこうと思う。

本能寺の変、足利義昭黒幕説が再び注目されているようじゃが……

先日、毎日新聞の「明智光秀、密書の原本発見。本能寺の変直後、反信長派へ」という報道が話題になっておった。NHKも「本能寺の変は室町幕府再興が目的か。光秀の書状を確認」と報じ、さらに拍車をかけた。じゃが、みなのもの、ちょっと落ち着け、落ち着くの…

小谷城趾で「浅井長政はなぜ、織田信長を裏切ったのか」その理由を考えてみた

本日9月2日は近江の戦国武将・浅井長政の命日。ということで、昨年末にいってきた小谷城の写真を引っ張り出しつつ、長政へのレクイエムのつもりで書いておこうと思う。(´-`).。oO(よくみると「クマ出没注意」の看板がある……

縄文人、あなどれない……三内丸山遺跡に行ってきたぞ

みちのくひとり旅の備忘録、三内丸山遺跡のことを書くのをわすれておった。縄文時代のイメージを大きく変える発見といわれておる。わしの縄文時に関する知識は小学校レベル以下で、縄文式土器と大森貝塚くらいしかよく覚えておらんのじゃが、それでも縄文人…

最北の古代城柵・秋田城跡に行ってきたぞ

みちのくひとり旅、つづいての備忘録は秋田城について。秋田駅からバスで30分ほど。秋田城は、奈良時代から平安次代にかけて出羽国秋田にあった最北の古代城柵じゃ。わしらが鎌倉から来たというと、資料館の人がそれはそれは丁寧にいろいろと説明をしてくれ…

秋田は裏切り者じゃない! 錦旗を護りし戊辰の栄。久保田城跡に行ってきたぞ

みちのくひとり旅の備忘録は、弘前から五能線にのってどこどこと秋田へ。佐竹氏の居城・久保田城跡にいってきた。現在は千秋公園として整備され、市民の憩いの場になっておる。桜の名所としても有名じゃが、わしが訪れたときには、残念なからすでに散ってし…

南部と津軽が仲が悪い歴史的な理由を、部外者があらためて整理してみた

みちのくひとり旅、弘前城訪問記の続き。ぷらぷらと歩いていたら、おばちゃんガイドが話しかけてきた。すっかり葉桜状態で残念がるわしに、「あど一週間早ぐ来れば……」と津軽弁で気さくに話しかけてくれたおばちゃん。ひとしきり話していたら、次第に話題は…

津軽為信は英雄か、梟雄か~それを確かめに弘前まで行ってきた件

みちのくひとり旅、浪岡城跡を訪問した翌日は弘前城へ。ご存じ、津軽氏4万7千石の居城じゃ。ちょうど「弘前さくらまつり」の期間中だったんじゃが、今年は桜の開花が例年より早かったそうで、わしが訪れたときにはすっかり葉桜になってしまっておった。と…

浪岡城跡〜北畠顕家の末裔・浪岡北畠氏が治めた北の御所

みちのくひとり旅、九戸城跡につづいて、今回は浪岡城跡の訪問記。以前から「信長の野望」に出てくる浪岡御所というのが、気になっておってな。