鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

太平記

覇府の最後のリーダーといえば、江戸幕府は徳川慶喜、室町は足利義昭、鎌倉は北条高時!

一年に一度やってくる「鎌倉の一番長い日」。今日、5月22日は新田義貞の鎌倉攻めにより、北条一族が自刃、鎌倉幕府が滅亡した日。正慶2年、西暦でいうと1333年のことじゃよ。

鎌倉幕府滅亡後、北条与党はかく戦えり

元弘3年(1333)、北条高時以下一族門葉は、新田義貞に攻め込まれ、東勝寺の炎の中で自刃。鎌倉幕府は滅亡した。じゃが、その後も北条与党はさまざまな思惑をもって各地で蠢動する。今回はそのあたりを少々。

『髑髏皇帝』ー宿命に翻弄された北条時行、足利直冬、楠木正行を描くホラー小説

南北朝時代を舞台にしたホラー小説『髑髏皇帝』(田中文雄著、講談社)が電子化されていたのでキンドルで購入し、先ほど読了。最初はふつうの時代小説、歴史小説風じゃったが、途中から一転して怨霊どもが跋扈する展開に。なんかもう勢いで読了してしまった…

北条時行、南朝に帰参〜ただ尊氏・直義等が為に、其恨を散ん事を存ず

久しぶりの鎌倉北条氏ネタは高時が遺児・北条時行について。鎌倉幕府が滅亡した折、諏訪盛高に守られて信州へと逃れた亀寿丸こと北条時行。その5年後、中先代の乱決起し、一時は鎌倉の奪還に成功する。じゃが、あっさりと足利尊氏に鎮圧され、再び敗走する。

宗良親王のこと〜偽りの言の葉にのみききなれて 人のまことぞなき世なりける

久しぶりに南北朝、太平記ネタを投下。井伊谷に行ってきたばかりなんで、もちろん今回は宗良親王のことじゃ。こちら、宗良親王を奉じて井伊氏が足利軍と戦った三岳城。こちらはさすがに詰めの城。平時の居館代わりの井伊谷城とは違って、登りきるのは一苦労…

蝦夷大乱…津軽安藤氏の乱のこと

昨日、得意先の安藤さんという人が青森出身だったので、津軽の安藤氏(安東氏)と関係があるのか聞いてみたところ、まったく関係なかったw じゃが、話としては大いに盛り上がったんで、今日は津軽安藤氏についてじゃよ。

日野資朝と阿新丸…佐渡の妙宣寺に行ってきた

さて、この夏に訪れた佐渡の話。じつは今回の佐渡行きの目的のひとつは、わしが斬首に処した日野資朝の墓前に手を合わせることじゃった。

今日は5月22日なので、あらためて「なぜ、鎌倉幕府は滅亡したのか?」を考えてみる

また、鎌倉のいちばん長い日、5月22日がやってきた。そう、今日は鎌倉幕府が滅亡した日じゃ。ということで、今日のお題は「なぜ、鎌倉幕府は滅亡したのか?」。

本間山城左衛門と大仏貞直…鎌倉に殉じた忠義の武士たち

今年も「5月22日」がやってくるにあたり、鎌倉のために戦い、命を落とした者どもへの鎮魂の記事でも書こうかと思うてな。今回は本間山城左衛門と大仏(北条)貞直のことじゃ。

弁谷の崇寿寺跡から九品寺へ、太守も材木座をワンコと歩いてみたぞ

昨日の続きじゃ。光明寺を訪れたあと、ワンコを連れて材木座あたりをぷらぷら歩いたんじゃが、まず訪れたのは弁谷(べんがやつ)。かつて、このあたりには、わし、北条高時が創建した崇寿寺があった。 現在は、すっかり宅地開発されており、その当時の面影は…

泣塔〜洲崎合戦の供養塔?知る人ぞ知るオカルトスポット

湘南モノレールの湘南深沢駅の近く、旧JR東日本大船工場敷地脇に「泣塔」(なきとう)と呼ばれる宝篋印塔がある。ちょうどこのあたりは再開発地区になっているが、具他的にどうするのかは決まっていないようで、現在は多目的広場という名で放置されている だ…

佐々木道誉は婆娑羅者よ、食えぬ男よ

新年2度目の更新は今年の干支、丙申生まれの佐々木道誉についてじゃ。婆娑羅大名の佐々木道誉、大河ドラマでは陣内孝則さんが好演しておったな。食えぬ男で、わが北条も煮え湯を飲まされたんじゃが、それでもわしはこやつのことはあまり憎めないんじゃよ。

中先代の乱〜北条相模次郎時行、いざ鎌倉へ

世間はクリスマスじゃな、年末じゃな。ということで、今日は北条時行と中先代の乱についてじゃよ(ぜんぜんどうでもいい前振りですまぬ)。

後醍醐天皇の怨霊…玉骨は縦令南山の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ。

さて、崇徳院、後鳥羽院につづいて怨霊になったであろう人物といえば、あの御方じゃな。そう、後醍醐天皇じゃよ。

霊処浄域につき参拝以外の立入禁止。腹切りやぐらで肝試しはやめなさい

日刊SPA!とやらのWebサイトで、こんな記事をみつけた。

西園寺公宗と北条時興による後醍醐天皇暗殺未遂事件

なにかと評判がよろしくない後醍醐天皇の建武の新政。あの忠臣の万里小路藤房卿にも愛想を尽かされ、武家の間では「北条のときのほうがよかった!」という声もちらほら。そこで、なんとも恐ろしい陰謀を企てたのが、西園寺公宗と、わが弟の北条時興(泰家)…

朕が新儀は未来の先例たるべし…お騒がせな後醍醐天皇と建武の新政

このブログは太守のブログじゃから、鎌倉幕府滅亡後の話はあまり興味ないんじゃが、とりあえず建武の新政のお話。 後醍醐天皇の親政が、武家はもちろん公家からも評判が悪く、あっさりと瓦解したことはみなさんご存知なはず。 理想とするのは天皇親政。摂政…

前代未聞の恥辱也…金剛山に楠木正成を攻めていた北条氏お歴々の最期

ここのところ九州、長門、北陸での北条一族の最期をエンントリーしてきたが、河内国金剛山の千早城を攻めていた軍勢をうっかりと忘れておった。阿蘇治時、長崎高貞(長崎高資の弟)、大仏家時、高直、貞宗の三兄弟、二階堂道蘊ら、お歴々が率いる精鋭たちの…

淡河右京亮時治の悲話…一念五百生、繋念無量劫の業なれば

鎌倉北条氏滅亡の余話をもう少し。越前に散った淡河(おうご)右京亮時治についてじゃ。 淡河右京亮時治は北条時盛の子、北条時房の孫にあたる。承久の乱の後、北条時盛は越前国大野郡牛原荘の地頭職に補任されている。

越中守護・名越時有の悲話…夫婦執着の妄念を遺しけるにや

しつこいようじゃが、今日も鎌倉北条氏滅亡の余話をエントリー。越中守護の名越時有(北条時有)について、じゃよ。。 名越時有は北条氏名越流・公貞の子。祖父の名越公時は弓馬や蹴鞠にも習熟し、鞠奉行をつとめている。北陸道は北条氏の勢力が強く、時有は…

真木和泉、形は足利尊氏でも心が楠木正成ならいいのだ!

先日の大河ドラマ「花燃ゆ」は、長州藩がいよいよ暴発して、蛤御門の変に至るお話じゃった。ドラマとしては見せ場のはずじゃが、視聴率はあいかわらず低迷しているようじゃな。 以前も書いたんじゃが、このドラマ、長州藩が勝手に騒いで勝手に暴発して、ほう…

鎮西探題・赤橋英時の自刃…行路難、水に在らず山にあらず、ただ人情反復の間に在り

鎌倉で北条高時以下一族が自害して果てた3日後の正慶2年5月25日、九州博多の地では、幕府最後の鎮西探題・赤橋(北条)英時ら一族340人が自害した。今日は、赤橋英時について。赤橋英時は幕府最後の執権・赤橋守時の弟、足利高氏正室・登子の兄にあたる…

鎌倉幕府の最終兵器・嶋津四郎、名馬「白浪」を駆り、いざ出陣!

さて、鎌倉幕府最期の日についてもう少しだけ続きを。稲村ケ崎を突破した新田義貞軍は、一気に鎌倉市外へと乱入した。「太平記」には、そうした劣勢の中でも最後まで戦う北条武士を描いているが、もちろん、そんな立派な人ばかりだったはずはない。 醜態をさ…

世の中、謡のようには参らん…吉川英治『私本太平記』の北条高時最期の場面を読み返してみた

今日5月22日は、北条一門が自刃し、鎌倉幕府が滅亡した日。ということで、パラパラと吉川英治『私本太平記』を読み返してみた。そこで、同書の北条高時の名台詞などをメモしてみた。

北条基時…待てしばし死出の山辺の旅の道 同じく越えて浮世語らん

今日5月9日はさいごの六波羅探題北方、北条仲時の命日。北条仲時は足利高氏らに攻められ、光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇を奉じて鎌倉へ落ちようとしたんじゃが、近江国番場峠で再び野伏に襲われ、蓮華寺本堂前で一族432人と共に自刃している。

足利市のイメージキャラクター「たかうじ君」www

足利市のイメージキャラクターに、「たかうじ君」なるゆるキャラがいるのを初めて知った。しかも、この度、公式テーマソングがCD化され、歌に合わせて踊る「たかうじ君体操」も完成したんだとか。 足利市「たかうじ君」テーマ曲のCD完成 体操に合わせてね

長崎高重…武恩を報ぜんため討死するぞ、高名せんと思はん者は、よれや組まん

鎌倉のいちばん長い日、5月22日が近づいてきたな。もっとも、そんなことを気にしている鎌倉市民はほとんどいないでしょうが、北条執権邸跡の宝戒寺では、毎年この日、北条高時の慰霊のために徳宗大権現会大般若経転読会がおこなわれておる。

小手指原・久米川の戦い…只百戦の命を限りにし、一挙に死をぞ争ひける

ネットをみてたら妙なニュースに出くわした。なんでもロト7の1等が、新田義貞が攻め込んできた鎌倉街道「上の道」沿いに集中しており、ひそかに「8億の道」として評判になっているというのじゃ。 鎌倉街道沿いで「ロト7の1等」続出のナゼ 源氏の流れをく…

日野俊基…秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん

今日は日野俊基について。日野資朝と同じ日野だけど、嫡流は資朝で、俊基は傍流。大河ドラマでは榎本孝明さんが演じていたの。

日野資朝…首を将って白刃に当つ。截断一陣の風

後醍醐天皇の側近といえば、日野資朝と日野俊基。日野家は、藤原北家の内麻呂の子、真夏の孫にあたる藤原家宗が、日野に法界寺を建立して薬師如来の小像を祀り、その子孫の資業があらためて薬師堂を建立し、姓を日野としたのがはじまりとのこと。日野資朝は…