北条高時.com

うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

戦国・江戸

「どうする家康」最終回と総集編を見たので感想をまとめてみた

今年の大河ドラマ「どうする家康」。「松本潤の演技が軽すぎる」とか「史実とかけ離れている」「若者ウケを狙いすぎ」「CGがしょぼい」だの散々いわれ、視聴率も伸び悩んだようじゃが、わしは1年間、楽しめたけどな。総集編もしっかりみたので、とりあえずわ…

北政所(高台院)と関ヶ原の合戦〜おねさまは本当は石田三成を支持していた?

今回は北政所(おね、高台院)について少々。ドラマや小説などでは、北政所と淀殿との間には確執があり、そこに石田三成ら文治派と加藤清正、福島正則ら武断派の対立がからんで豊臣家臣団が分裂。そこを徳川家康につけこまれて関ヶ原の合戦に至ったというよ…

竹田城、雲海に浮かぶ天空の城の歴史〜いつ、誰がつくったのか。なぜ廃城になったのか

先日、「天空の城」「日本のマチュピチュ」として名高い竹田城に行ってきた。縄張りが虎が臥せているように見えることから別名は「虎臥城」。わしも早朝登山で雲海を目指したんじゃが、霧と雲海が出過ぎて眼下に眺めるというより、その真っ只中に入ってしま…

三浦道寸・義意 VS.北条早雲 油壺新井城の戦い〜討つものも討たるる者もかはらけよ

GWに油壺に行ってきたので、今回は三浦義同・義意父子について書いておく。三浦党といえば、義村、義澄、大介義明が有名じゃが、こちらは戦国時代の三浦氏じゃよ。 三浦義意(左)、三浦義同(右) 戦国時代へとの続いた三浦氏 ご存知の通り、鎌倉幕府で一時…

「島津に暗君なし」は本当か? 仙巌園を歩いて島津と薩摩について考えてみた

太守の鹿児島訪問記、名勝「仙巌園」(せんがんえん)に行ってきたので、今回は薩摩の島津氏についてじゃよ。 島津家別邸 名勝「仙巌園」 島津氏の出自~鎌倉から南北朝、戦国まで 島津氏の発祥。初代・島津忠久は源頼朝の落胤? 南北朝の内乱。島津貞久、三…

宇喜多秀家公潜居地跡~薩摩は牛根郷へ逃げた豊臣の貴公子を偲んで

太守の鹿児島訪問記。今回は垂水市牛根麓にある宇喜多秀家公潜居地跡についてじゃ。以前、八丈島に行ったとき、宇喜多秀家の墓参りをしたのじゃが、じつはそのときから機会あれば牛根にも訪れてみたいと思っていたんじゃよ。 ちなみに八丈島に秀家の墓を訪ね…

光秀生誕の地? 岐阜県可児市の明智城に行ってきた

大河ドラマ「麒麟がくる」で大注目。明智光秀生誕地の有力候補とされる岐阜県可児市の明智城跡に行ってきたので、今回は、その備忘録じゃよ。

人取橋古戦場跡で老将・鬼庭左月斎を偲んできた

仙台ユアスタに遠征した時に立ち寄った人取橋古戦場跡。人取橋の戦いは、伊達政宗と佐竹・芦名他連合軍とが激突した合戦で、老将・鬼庭左月斎の奮戦で有名じゃな。

諸説ある明智光秀の出自について〜ほんとうに土岐氏の系譜なのか

来年の大河ドラマは明智光秀を描く『麒麟がくる』。すでに撮影もスタートし、主要キャストも発表されている。脚本は、あの名作『太平記』を手がけた池端俊策さん! 自ずと期待感が高まるではないか。そして長谷川博巳さんがどんな光秀を演じてくれるのか、今…

沙也可〜文禄・慶長の役で朝鮮軍に降って戦った日本の武将

先日、肥前名護屋城跡を訪れたのをきっかけに文禄・慶長の役について書いたけれど、それと関連して今回は「沙也可」という人物について書かせてもらおう。 沙也可

なぜ秀吉は朝鮮に出兵したのか〜肥前名護屋城跡で考えてみた

鳥栖遠征の往路、以前から訪れてみたかった肥前名護屋城跡に行ってきた。博多からJRとバスを乗り継いで往復4時間以上もかかったが、歴ヲタなら一度は訪れておきたいスポットじゃよな。 名護屋城跡

「関ヶ原の合戦」は天下分け目の大決戦ではなかった!?

9月15日は旧暦で関ヶ原の合戦が行われた日。ということで、Twitter界隈では、#関ヶ原2018 が盛り上がっていたようじゃ。今年こそ、石田三成の悲願がかない、西軍の初勝利なるかが注目されたが、残念ながら例年通り敗走したけどな。ただ、この関ヶ原の合戦、…

関ケ原で小早川秀秋が陣取った松尾山に行って難儀した件

年末、関西に行く途中で愛犬といっしょに関ケ原に立ち寄り、松尾山へ行ってきた。そう、あの松尾山じゃ。東か、西か……天下分け目の決戦で小早川秀秋さんが眺めた景色をいちどはみておきたいと前々から思っていたんじゃよ、わし。

百尺竿頭に一歩を進む。大死一番、絶後再び蘇る…「おんな城主直虎」最終回

「おんな城主直虎」が最終回。小さな小さな井伊谷の物語が、大きな大きな大河へとつながっていった、そんな1年間のストーリーじゃったな。

斎藤道三、義龍、龍興…積不善の家には必ず余殃有り

岐阜遠征こぼれ話との3回目。本日は道三流斎藤三代についての備忘録じゃよ。

岐阜の崇福寺に立ち寄り、織田信長父子廟と血天井で手を合わせてきたぞ

長良川競技場のそば近くにある崇福寺。本能寺の変で明智光秀に討たれた織田信長・信忠父子の廟所がここにある。せっかくなのでキックオフ前にに立ち寄ってきた。

「織田信長岐阜入城・岐阜命名450年」なので、岐阜城で信長どて丼を食べてきたぞ。

だいぶ間が空いてしまったけど、岐阜遠征のこぼれ話。「織田信長岐阜入城・岐阜命名450年」ということなので、試合前に15年ぶりに岐阜城に立ち寄ってみた。JR岐阜駅前では金ピカの信長殿がお出迎えじゃwww

遠藤直経・浅井長政の忠臣〜彼は聞ゆる剛の者にて、力あくまですぐれたり

さて、今回は遠藤喜右衛門直経のこと。司馬遼太郎さんが小説に書きたいと思いながら、ついに果たせなかった(司馬遼太郎著『近江散歩』)という浅井家中の剛の者じゃ。遠藤直経の墓は姉川古戦場跡碑からほど近くの畑の中にぽつんとあったので、ともかくも手…

姉川の戦い…野も田畠も死骸ばかりに候

だいぶ間延びしてしまったが、昨年末の浅井長政史跡巡り備忘録の続き。今回は姉川の合戦についてじゃ。滋賀県長浜市野村町、姉川にかかる野村橋の北側に「姉川古戦場跡碑」がある。このあたり、戦国時代に織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が雌雄を決した…

映画「関ヶ原」〜東出昌大さん演じる小早川秀秋に胸熱

湘南テラスモールで、映画「関ヶ原」をみてきたので、今回はその感想。じつは一瞬、「あさひなぐ」にしようかと思ったんじゃがな。ネタバレもあるかもしらんが、まあ、関ヶ原の合戦自体はすでに史実でみんな知っておろうから、気にせず書くとしよう。

「おんな城主直虎」、あの神回の衝撃からようやく落ち着いてきたので、感想を書いてみた

みなは大河ドラマ「おんな城主直虎」はみておるか? あの小野但馬守政次が次郎様に槍で処刑された「神回」の衝撃から、ようやく正気を取り戻したので、今日はこれまでの感想などを書いておこうと思う。

本能寺の変、足利義昭黒幕説が再び注目されているようじゃが……

先日、毎日新聞の「明智光秀、密書の原本発見。本能寺の変直後、反信長派へ」という報道が話題になっておった。NHKも「本能寺の変は室町幕府再興が目的か。光秀の書状を確認」と報じ、さらに拍車をかけた。じゃが、みなのもの、ちょっと落ち着け、落ち着くの…

小谷城趾で「浅井長政はなぜ、織田信長を裏切ったのか」その理由を考えてみた

本日9月2日は近江の戦国武将・浅井長政の命日。ということで、昨年末にいってきた小谷城の写真を引っ張り出しつつ、長政へのレクイエムのつもりで書いておこうと思う。(´-`).。oO(よくみると「クマ出没注意」の看板がある……

南部と津軽が仲が悪い歴史的な理由を、部外者があらためて整理してみた

みちのくひとり旅、弘前城訪問記の続き。ぷらぷらと歩いていたら、おばちゃんガイドが話しかけてきた。すっかり葉桜状態で残念がるわしに、「あど一週間早ぐ来れば……」と津軽弁で気さくに話しかけてくれたおばちゃん。ひとしきり話していたら、次第に話題は…

津軽為信は英雄か、梟雄か~それを確かめに弘前まで行ってきた件

みちのくひとり旅、浪岡城跡を訪問した翌日は弘前城へ。ご存じ、津軽氏4万7千石の居城じゃ。ちょうど「弘前さくらまつり」の期間中だったんじゃが、今年は桜の開花が例年より早かったそうで、わしが訪れたときにはすっかり葉桜になってしまっておった。と…

浪岡城跡〜北畠顕家の末裔・浪岡北畠氏が治めた北の御所

みちのくひとり旅、九戸城跡につづいて、今回は浪岡城跡の訪問記。以前から「信長の野望」に出てくる浪岡御所というのが、気になっておってな。

九戸城跡〜高橋克彦さんの『天を衝く』の舞台に行ってきたので感想と備忘録を少々

少し間があいてしまったが、九戸政実についての続きじゃ。今回は、九戸城跡訪問のときの雑感と、九戸政実の乱に関する備忘録ということで、書きとめておきたい。

九戸政実はなぜ、秀吉に喧嘩を売ったのか

このGWに東北旅行に行ってきたのじゃが、その折、九戸城跡に立ち寄ってきた。高橋克彦さんの『天を衝く』、安倍龍太郎さんの『冬を待つ城』に感化され、一度は訪れたいと思っていたんじゃが、ようやく念願がかなったというわけ。

今川義元の首は桶狭間の後、どうなったのか

今週の大河ドラマ「おんな城主直虎」は前半の大きな山場ともいえる桶狭間の戦い。ついに今川の太守様が討ち取られてしまった。ドラマでは太守さまの象徴ともいえる豪奢な扇が泥にまみれて踏みにじられている場面をもって、その最期を描いていた。太守さまが…

海北友松のこと〜葉室麟『墨龍賦』を読んだので、その感想もちょびっと

葉室麟さんの新刊『墨龍賦(ぼくりゅうふ)』(PHP研究所)を読了したので、今日は、その主人公・海北友松について。海北友松は桃山時代の絵師で、建仁寺の障壁画はとくに有名。この本の表紙絵となっているのはそのうちの「雲龍図」で、ここには友松が交流し…