鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の日々の備忘録。湘南ベルマーレを応援しています。

鎌倉・室町

足利尊氏はなぜ、後醍醐天皇に反逆したのか

足利尊氏について続き。尊氏が鎌倉幕府を裏切ったのはまあ、よしとして、後醍醐天皇、建武政権に反逆した理由はなんだったのか、ということを、わしなりに考えてみた。なお、この内容は、呉座勇一編『南朝研究の最前線』 に掲載されている細川重男さんの論考…

足利家時の置文……足利高氏が鎌倉幕府を裏切った理由とは?

しかし、足利高氏はなにゆえ、鎌倉を裏切ったのじゃろうか? まさか、わしの愛犬に噛みつかれたことを根にもったとか? それとも、父・足利貞氏の喪も明けぬうちに、笠置攻めを命じ、仏事もろくにさせなかったことを恨んだのか? それとも……

足利尊氏の肖像画が発見された件

朝日新聞デジタルに、足利尊氏の顔、これで決まり? 中世肖像画の写し発見というニュース。専門家は「尊氏の顔がこれではっきりした」と話しているという。

覇府の最後のリーダーといえば、江戸幕府は徳川慶喜、室町は足利義昭、鎌倉は北条高時!

一年に一度やってくる「鎌倉の一番長い日」。今日、5月22日は新田義貞の鎌倉攻めにより、北条一族が自刃、鎌倉幕府が滅亡した日。正慶2年、西暦でいうと1333年のことじゃよ。

足利義政はそんなに無能な将軍だったのか?

呉座勇一氏の中公新書を読んだのをきっかけに、応仁の乱について備忘録的に書いていくシリーズ。今日は将軍・足利義政についてじゃよ。

細川勝元と山名宗全 応仁の乱の東西両軍の総帥のこと

呉座勇一氏の中公新書を読んだのをきっかけに、応仁の乱について備忘録的に書いていくシリーズ。ペースがだいぶ遅いけど、今日は両大将・細川勝元と山名宗全についてじゃよ。

御霊合戦…畠山義就と政長の不毛なお家騒動と応仁の乱のはじまり

呉座勇一さんの中公新書を読んだのをきっかけに、応仁の乱について備忘録的に書いていくシリーズ。まずは乱の直接的なきっかけになった畠山氏のお家騒動についてじゃ。ちなみに写真は今年の正月に行った上御霊神社。文正2年(1467)1月18日、ここ御霊の森に…

鎌倉幕府滅亡後、北条与党はかく戦えり

元弘3年(1333)、北条高時以下一族門葉は、新田義貞に攻め込まれ、東勝寺の炎の中で自刃。鎌倉幕府は滅亡した。じゃが、その後も北条与党はさまざまな思惑をもって各地で蠢動する。今回はそのあたりを少々。

『髑髏皇帝』ー宿命に翻弄された北条時行、足利直冬、楠木正行を描くホラー小説

南北朝時代を舞台にしたホラー小説『髑髏皇帝』(田中文雄著、講談社)が電子化されていたのでキンドルで購入し、先ほど読了。最初はふつうの時代小説、歴史小説風じゃったが、途中から一転して怨霊どもが跋扈する展開に。なんかもう勢いで読了してしまった…

北条時行、南朝に帰参〜ただ尊氏・直義等が為に、其恨を散ん事を存ず

久しぶりの鎌倉北条氏ネタは高時が遺児・北条時行について。鎌倉幕府が滅亡した折、諏訪盛高に守られて信州へと逃れた亀寿丸こと北条時行。その5年後、中先代の乱決起し、一時は鎌倉の奪還に成功する。じゃが、あっさりと足利尊氏に鎮圧され、再び敗走する。

人世虚しい応仁の乱

昨年末あたりから、中公新書の『応仁の乱』(呉座勇一著)が売れてるらしい。「なんで今、応仁の乱?」と思わんでもないが、とにかく売れているらしいので、わしも読んでみたのじゃが……かなり厄介な代物じゃったぞ。

宗良親王のこと〜偽りの言の葉にのみききなれて 人のまことぞなき世なりける

久しぶりに南北朝、太平記ネタを投下。井伊谷に行ってきたばかりなんで、もちろん今回は宗良親王のことじゃ。こちら、宗良親王を奉じて井伊氏が足利軍と戦った三岳城。こちらはさすがに詰めの城。平時の居館代わりの井伊谷城とは違って、登りきるのは一苦労…

カジノ法案が成立したので、鎌倉武士のギャンブル事情を少々

統合型リゾート(IR)を推進する「カジノ法案」が成立した。もともわしはギャンブルの類はあまり好きではない。競馬競輪はぜんぜんやらんし、パチンコや麻雀も10年以上やってない。宝くじも年末ジャンボくらいで、totoも面倒臭くて買わない。じゃから、カジ…

蝦夷大乱…津軽安藤氏の乱のこと

昨日、得意先の安藤さんという人が青森出身だったので、津軽の安藤氏(安東氏)と関係があるのか聞いてみたところ、まったく関係なかったw じゃが、話としては大いに盛り上がったんで、今日は津軽安藤氏についてじゃよ。

那須与一、願わくばあの扇の真ん中射させたまへ…

さて、今回はアニメ「ドリフターズ」で注目の那須与一。島津豊久、織田信長とともに異世界で大活躍する与一は史実のうえでも謎多き武者。というより『吾妻鏡』『玉葉』『愚管抄』など、同時代の史料に登場してこないため、実在したかどうかすら疑わしいんじ…

ドジョウ汁が大好きじゃった順徳院を佐渡に偲ぶ〜ももしきや 古き軒端のしのぶにも……

佐渡への旅の話、続く。先日はこの旅の目的のひとつ、日野資朝(と阿新丸)の墓参について書いたが、本日は順徳院についてじゃよ。

日野資朝と阿新丸…佐渡の妙宣寺に行ってきた

さて、この夏に訪れた佐渡の話。じつは今回の佐渡行きの目的のひとつは、わしが斬首に処した日野資朝の墓前に手を合わせることじゃった。

日蓮の佐渡法難と阿仏房・千日尼のこと

佐渡の両津港のほど近く、金色に輝く巨大な日蓮の銅像があった。ということで、今日は日蓮と過酷な流刑生活を支えた阿仏房と千日尼についてじゃ。

宝治合戦と三浦氏滅亡のこと。

今日は6月5日。今から769年前の宝治元年(1247年)6月5日、鎌倉で執権北条氏と有力御家人の三浦氏との間に武力衝突が起こった。宝治合戦じゃ。敗れた三浦泰村、光村らは法華堂にこもり一族与党500人が自決。これにより北条得宗家による専制政治が、いよいよ…

今日は5月22日なので、あらためて「なぜ、鎌倉幕府は滅亡したのか?」を考えてみる

また、鎌倉のいちばん長い日、5月22日がやってきた。そう、今日は鎌倉幕府が滅亡した日じゃ。ということで、今日のお題は「なぜ、鎌倉幕府は滅亡したのか?」。

本間山城左衛門と大仏貞直…鎌倉に殉じた忠義の武士たち

今年も「5月22日」がやってくるにあたり、鎌倉のために戦い、命を落とした者どもへの鎮魂の記事でも書こうかと思うてな。今回は本間山城左衛門と大仏(北条)貞直のことじゃ。

大庭城址公園で大庭景義・景親兄弟を偲ぶ

先日、源義朝公による大庭御厨の濫妨事件について書いたが、たまたま大庭方面に行く用事があったので、ついでに大庭城趾公園へ立ち寄ってきた。近くまではしょっちゅう来ておるのじゃが、公園内に入るのは初めて。わし、なにかに引き寄せられたんじゃろうかw

鎌倉悪源太・源義平のこと

逗子の沼間にある光照寺。開山は不明じゃが、鎌倉悪源太とよばれた源義朝公の長男・義平殿の菩提を弔うために建てられたと伝えられている。鎌倉悪源太…いかにも恐ろしい、悪そうな名じゃが、なかなかどうして、ナイスガイだったそうじゃよ。

若き日の源義朝公と逗子・沼濱御旧宅のこと

ゴールデンウィークで混雑する鎌倉を避けて、野暮用をこなしに逗子に行ってきた。東逗子ともいえる沼間あたりは、むかしは鎌倉七郷のひとつで、沼浜郷と呼ばれていた。 沼浜という地名は文献的には正倉院の時代からみられるようで、かつてはすぐ近くまで海岸…

源義経の最期と首のこと〜平泉・高館義経堂から藤沢・首洗井戸へ

今日4月30日は九郎判官殿こと源義経殿の命日じゃ。数年前の夏、わしも平泉を旅して、九郎殿最期の地といわれる衣川館跡を訪れ、手を合わせてきた。「夏草や兵どもの夢の跡」……高館義経堂とよばれるお堂がひっそりとあって、もののふのあわれを感じたもの…

源頼朝公をはじめ鎌倉幕府創始者たちの墳墓堂・法華寺跡に行ってきたよ

花は桜木、人は武士。 鎌倉の桜もほぼ終わり。散りゆく桜木を眺めては、もののふの夢や生き方の儚さを感じつつ、法華堂跡にある源頼朝公の墓所に手を合わせてきたので、そのときのことを。

伊豆山神社…源頼朝公推奨・二所詣に行ってきたぞ

源頼朝公が推奨した二所詣。先日、わしもいってきたぞ。

弁谷の崇寿寺跡から九品寺へ、太守も材木座をワンコと歩いてみたぞ

昨日の続きじゃ。光明寺を訪れたあと、ワンコを連れて材木座あたりをぷらぷら歩いたんじゃが、まず訪れたのは弁谷(べんがやつ)。かつて、このあたりには、わし、北条高時が創建した崇寿寺があった。 現在は、すっかり宅地開発されており、その当時の面影は…

北条経時公のお墓詣りに、材木座の光明寺に行ってきたよ

今日はお天気はいまひとつじゃつたが温い一日じゃったな。ちょうど材木座に行くついでがあったので、わしは愛犬をつれて光明寺に行ってきた。光明寺は鎌倉幕府・第4代執権の北条経時公を開基として、然阿良忠上人が開山した浄土宗の寺院じゃ。 鎌倉のメイン…

北条時氏、早すぎる死がいかにも残念な得宗四代目

所用で鎌倉は十二所に行ってきたのじゃが、このあたり、明王院の東側一帯には源実朝公が創建した大慈寺の大伽藍が建っておった。「吾妻鏡」によると、この大慈寺のそばの山麓に、北条時氏公が葬られたとある。といっても、多くの者が「北条時氏ってだれ?」…