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鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

御霊合戦…畠山義就と政長の不毛なお家騒動と応仁の乱のはじまり

呉座勇一さんの中公新書を読んだのをきっかけに、応仁の乱について備忘録的に書いていくシリーズ。まずは乱の直接的なきっかけになった畠山氏のお家騒動についてじゃ。ちなみに写真は今年の正月に行った上御霊神社。文正2年(1467)1月18日、ここ御霊の森に…

人世虚しい応仁の乱

昨年末あたりから、中公新書の『応仁の乱』(呉座勇一著)が売れてるらしい。「なんで今、応仁の乱?」と思わんでもないが、とにかく売れているらしいので、わしも読んでみたのじゃが……かなり厄介な代物じゃったぞ。

カジノ法案が成立したので、鎌倉武士のギャンブル事情を少々

統合型リゾート(IR)を推進する「カジノ法案」が成立した。もともわしはギャンブルの類はあまり好きではない。競馬競輪はぜんぜんやらんし、パチンコや麻雀も10年以上やってない。宝くじも年末ジャンボくらいで、totoも面倒臭くて買わない。じゃから、カジ…

那須与一、願わくばあの扇の真ん中射させたまへ…

さて、今回はアニメ「ドリフターズ」で注目の那須与一。島津豊久、織田信長とともに異世界で大活躍する与一は史実のうえでも謎多き武者。というより『吾妻鏡』『玉葉』『愚管抄』など、同時代の史料に登場してこないため、実在したかどうかすら疑わしいんじ…

ドジョウ汁が大好きじゃった順徳院を佐渡に偲ぶ〜ももしきや 古き軒端のしのぶにも……

佐渡への旅の話、続く。先日はこの旅の目的のひとつ、日野資朝(と阿新丸)の墓参について書いたが、本日は順徳院についてじゃよ。

日蓮の佐渡法難と阿仏房・千日尼のこと

佐渡の両津港のほど近く、金色に輝く巨大な日蓮の銅像があった。ということで、今日は日蓮と過酷な流刑生活を支えた阿仏房と千日尼についてじゃ。

宝治合戦と三浦氏滅亡のこと。

今日は6月5日。今から769年前の宝治元年(1247年)6月5日、鎌倉で執権北条氏と有力御家人の三浦氏との間に武力衝突が起こった。宝治合戦じゃ。敗れた三浦泰村、光村らは法華堂にこもり一族与党500人が自決。これにより北条得宗家による専制政治が、いよいよ…

大庭城址公園で大庭景義・景親兄弟を偲ぶ

先日、源義朝公による大庭御厨の濫妨事件について書いたが、たまたま大庭方面に行く用事があったので、ついでに大庭城趾公園へ立ち寄ってきた。近くまではしょっちゅう来ておるのじゃが、公園内に入るのは初めて。わし、なにかに引き寄せられたんじゃろうかw

鎌倉悪源太・源義平のこと

逗子の沼間にある光照寺。開山は不明じゃが、鎌倉悪源太とよばれた源義朝公の長男・義平殿の菩提を弔うために建てられたと伝えられている。鎌倉悪源太…いかにも恐ろしい、悪そうな名じゃが、なかなかどうして、ナイスガイだったそうじゃよ。

若き日の源義朝公と逗子・沼濱御旧宅のこと

ゴールデンウィークで混雑する鎌倉を避けて、野暮用をこなしに逗子に行ってきた。東逗子ともいえる沼間あたりは、むかしは鎌倉七郷のひとつで、沼浜郷と呼ばれていた。 沼浜という地名は文献的には正倉院の時代からみられるようで、かつてはすぐ近くまで海岸…

源義経の最期と首のこと〜平泉・高館義経堂から藤沢・首洗井戸へ

今日4月30日は九郎判官殿こと源義経殿の命日じゃ。数年前の夏、わしも平泉を旅して、九郎殿最期の地といわれる衣川館跡を訪れ、手を合わせてきた。「夏草や兵どもの夢の跡」……高館義経堂とよばれるお堂がひっそりとあって、もののふのあわれを感じたもの…

源頼朝公をはじめ鎌倉幕府創始者たちの墳墓堂・法華寺跡に行ってきたよ

花は桜木、人は武士。 鎌倉の桜もほぼ終わり。散りゆく桜木を眺めては、もののふの夢や生き方の儚さを感じつつ、法華堂跡にある源頼朝公の墓所に手を合わせてきたので、そのときのことを。

伊豆山神社…源頼朝公推奨・二所詣に行ってきたぞ

源頼朝公が推奨した二所詣。先日、わしもいってきたぞ。

北条経時公のお墓詣りに、材木座の光明寺に行ってきたよ

今日はお天気はいまひとつじゃつたが温い一日じゃったな。ちょうど材木座に行くついでがあったので、わしは愛犬をつれて光明寺に行ってきた。光明寺は鎌倉幕府・第4代執権の北条経時公を開基として、然阿良忠上人が開山した浄土宗の寺院じゃ。 鎌倉のメイン…

北条時氏、早すぎる死がいかにも残念な得宗四代目

所用で鎌倉は十二所に行ってきたのじゃが、このあたり、明王院の東側一帯には源実朝公が創建した大慈寺の大伽藍が建っておった。「吾妻鏡」によると、この大慈寺のそばの山麓に、北条時氏公が葬られたとある。といっても、多くの者が「北条時氏ってだれ?」…

清水冠者・木曾義高のお墓詣り〜薄命ノ公子ガ首級ハ此ノ地ニ於テ永キ眠ヲ結ベルナリ

常楽寺の裏山に清水冠者義高殿のお墓があるとのことで、そちらにも行ってきたぞ。義高殿といえば、源頼朝公と政子さまの長女・大姫さまとの悲恋が有名じゃな。

大船の常楽寺まで、北条泰時公のお墓詣りにいってきたよ

鎌倉は大船にある常楽寺に立ち寄り、北条泰時公のお墓に手を合わせてきたぞ。ちなみに、常楽寺の裏山には、あの大姫さまとの悲恋で有名な、木曽義仲の嫡男・清水冠者義高殿のお墓もあるのじゃが、それは次回に書かせてもらうとして、本日は賢君・北条泰時公…

そもそも「得宗」とは?

北条時政公からワシ・高時までの北条氏嫡流は「得宗」とよばれているが、この「得宗」ってそもそもなんなのか。どっから出てきた言葉なのか。ワシも今まで、そういうことは気にせず使ってきたんじゃが、今日はそのお話。

北条時宗と蒙古襲来〜執権殿、煩い悩むなかれ

先日、北条時輔殿と二月騒動のことを書いているうちに、やはり北条時宗公のことを書かねばならぬと思うてのう。そう蒙古襲来の時のことじゃよ。

赤いマフラーが印象的な北条時輔と二月騒動の真相

気まぐれにその時々に思いついた歴史ネタを書く当ブログじゃが、今日は北条時輔殿と二月騒動についてじゃよ。二月騒動と聞いても、教科書にはのってないし、ほとんどの人がピンとこないじゃろう。じゃが、鎌倉北条氏を語る上では、石橋山合戦、承久の乱と同…

和田義盛無念…いざ鎌倉、和田塚へ

所用で江ノ電の和田塚駅で降りたから、和田塚に立ち寄ることにした。ということで、今日は和田義盛についてじゃ。

後鳥羽上皇は怨霊になったのか?…人定めて崇徳院のごとき沙汰を致すか、全く願うところにあらず

きょうも怨霊の話の続き。承久の変でワシら北条が隠岐にお流しした後鳥羽院についてじゃ。後鳥羽院も崇徳院と同様、隠岐へ配流直後から怨霊として祟りをなすと思われておったのじゃが……

此付近平氏六波羅第跡 六波羅探題府

先週、所用で京都にいってきたのじゃが、ついでなので六波羅に寄ってきた。 六波羅は現在の京都市東山区、鴨川東岸の五条大路から七条大路一帯のあたり一帯の地域のこと。天暦5年(951年)、空也上人がこの地に西光寺を建て、その高弟の中信が六波羅蜜寺と改…

聖福寺趾碑〜北条時宗公の兄上・時輔殿がなんとも不憫でならぬ件

かつて稲村ガ崎の奥には聖福寺というお寺があった。あの最明寺入道・北条時頼公が建立したお寺じゃ。北条時頼公といえば、歴代執権のなかでも善政をしいた名君として名高いが、ワシの中では、大河ドラマ「北条時宗」で、渡辺謙さん演じた時頼公のこの台詞が…

生まれながらの鎌倉殿、源頼家公の不運

今日は源頼家公について。頼家公といえば、大河ドラマ「草燃える」では郷ひろみさんが演じておられ、その印象が強いんじゃが、それにしても不運なお人じゃったな。

三浦の犬は友をくらふ也…権謀家・三浦義村のこと

このシルバーウィークは連日の好天。そんな5連休に大河ドラマ「草燃える」をみて、じめじめと過ごすのも一興じゃったよ。で、昨日のマツケンさんの北条義時公につづいて、今日は藤岡弘さんが演じた三浦義村についてエントリー。そう、御家人からは「友を食…

「草燃える」で北条義時公を演じた松平健さんが素晴らしすぎる!

暇にまかせてNHKオンデマンドで大河ドラマ三昧。昨今、大河ドラマは逆風が吹いていて、「花燃ゆ」なんぞ各方面からボロクソなわけじゃが、この数日で「草燃える」をみて、いわれても仕方がないかなと、あらためて感じた次第。 いやいや、松平健さんの北条義…

源頼朝旗揚げのキーマンは北条宗時さん?

とくに予定のないシルバーウィーク。あまりの暇さにむかしの大河ドラマでもみようかと思い、NHKオンデマンドで「草燃える」をチョイス。石坂浩二さんの源頼朝公、岩下志麻さんの北条政子殿、マツケンさんの北条義時公とか、涙ものの懐かしさだったんじゃった…

朝比奈三郎義秀…小坪の浜でサメ三匹を捕まえた本朝無双の剛勇

この夏、茅ケ崎の沖合にサメが出没したことから、湘南海岸一帯は遊泳禁止となってしまった。海の家など、商売上がったりで、さんざんな夏になってしまったようじゃな。さて、湘南とサメといえば……本朝無双の豪傑と言われた朝比奈三郎義秀じゃな。

吉見御所(伝・源範頼館跡)にいってきたよ

先日の埼玉スタ遠征のついでに吉見町あたりをぶらぶら。吉見町は蒲殿こと源範頼さんに所縁の地。蒲殿は兄・頼朝公の代官として木曽義仲、平家追討の大将軍という大任をはたした人物。人気、知名度とも弟の九郎義経殿には及ばぬが、鎌倉武士の主力軍を率いて…

何気ない「ひと言」が命取りになってしまった蒲殿こと源範頼さん

ふつうは修善寺といえば源頼家公ということになるんじゃろうが、この地には河内源氏の流れを汲む源義朝公の六男で頼朝公の異母弟、九郎義経殿の異母兄である源範頼さんも眠っておる。

木曾義仲の火牛の計、倶利伽羅峠に行ってきましたよ

この夏、一度はいってみたいとかねてから思っていた越中・加賀国の国境・砺波山の倶利伽羅峠に立ち寄ってみた。平維盛が本陣をはったといわれる場所には源平の慰霊碑があり、角に松明をつけた牛さんが2頭いらっしゃってのう。 なんか、笑ってしまうわw

富士の人穴に潜入し、山神の化身である猪を仕留めた仁田忠常に霊峰富士の天罰 がくだった?

今日は比企能員の変に関連するエントリーをひとつ。仁田忠常は、伊豆国の住人。伊豆挙兵から源頼朝従い、その信任を得た。源平の合戦では源範頼に従って各地を転戦し、奥州藤原攻めでも武功を挙げている。忠常が病で生死の淵にあったとき、頼朝は見舞いのた…

無念!比企能員……妙本寺に比企一族を偲ぶ

今日は所用で午後出社の予定だったけど、中途半端に仕事をするのもどうかと思い、けっきょく休むことにし、午後はぷらぷらと鎌倉散歩。 行き先は比企谷の妙本寺。北条氏に滅ぼされた比企能員の館があったところじゃ。

三浦胤義はなぜ、承久の乱で後鳥羽上皇の味方をしたのか?

承久の乱のことをつらつらと書いてエントリーしてきましたが、三浦胤義が気になったので、少し書いておこうかと。 三浦胤義は三浦義澄の末子で、畠山重忠の乱や和田義盛の乱では、兄・三浦義村とともに出陣し功を立てている。検非違使判官として在京中に、藤…

承久の乱、皆心を一にして奉るべし…尼将軍・北条政子が御家人に喝!

承久の乱の勝利により、北条の政権基盤は確固たるものになるのじゃが、第一の殊勲は、やはり尼将軍・北条政子殿じゃろう。

後鳥羽上皇、人に不意(1221)討ち承久の乱

少し前に、実朝暗殺とその黒幕についてエントリーしたけれど、今日は、その関連で、後鳥羽上皇についてじゃ。 人に不意(1221)討ち承久の乱 後鳥羽上皇といえば承久の乱。承久の乱は、有史以来はじめて武家が朝廷と戦って勝利し、天皇、上皇を島流しにしたと…

源実朝暗殺の黒幕は北条義時か、三浦義村か、それとも…

源実朝公暗殺事件について、昨日の続きを好き勝手に書いていこうかと思う。なお、事件のあらましは、こちらをご覧くだされ。 takatokihojo.hatenablog.com

源実朝暗殺…出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな

先日、鎌倉にも大雪が降ったが、鶴岡八幡宮で、将軍・源実朝公が甥の公暁に暗殺されたのも、こんな日じゃったのかもしれん。今から795年前の1219年2月13日(建保7年1月27日)、鎌倉は雪が二尺ほど積もったそうじゃ。そこで今日はこの事件について少々書こ…

永福寺(ようふくじ)跡

鎌倉宮から瑞泉寺へと向かう途中に、国指定指定史跡の永福寺(ようふくじ)跡がある。

梶原景時追放—コレヲバ頼家ガフカクニ人思ヒタリケルニ

今日は少しお散歩の足を伸ばして、梶原御霊神社へ。 ちなみに鎌倉には御霊神社はもうひとつあるが、この御霊神社を建立したのは梶原景時。祭神は梶原氏の祖で後三年の役で奮戦した武勇の人・鎌倉権五郎景政。じつは、長尾景虎(上杉謙信)の長尾氏が、この系…

女傑か?悪女か?鬼女か? 尼将軍北条政子「産湯の井戸」にて思う……

韮山の北条氏邸・円成寺跡の東側、伝堀越御所跡の向かいに「尼将軍北条政子産湯の井戸」。

源頼朝公が挙兵した石橋山古戦場跡とねじり畑

小田原に行った帰りに石橋山古戦場跡へと少し足を伸ばしてみた。このあたりは、みかん畑が広がっていてじつにのどかである。石橋山から鎌倉、三浦半島方面をのぞむ。

伊豆の願成就院に北条時政公のお墓参りに行ってきたよ

伊豆・韮山は北条時政公のお墓がある願成就院へ。『吾妻鏡』によると、願成就院は北条時政公が、源頼朝公の奥州討伐戦勝祈願のために建立したとされている。現在はこぢんまりとした境内じゃが、鎌倉時代には、伊豆屈指の大寺院だったらしい。

伊豆の成福寺〜法灯を守り続ける北条氏の子孫

北条氏は鎌倉陥落の時にワシ・高時が自刃。北条氏再興をめざした息子・時行も鎌倉龍ノ口で斬られ、北条氏の血筋は途切れたとされているが、どっこい、北条発祥のこの伊豆の地で、そのの正統は連綿と受け継がれているという。 不覚にもまったく知らんかったわ…

伊豆・真珠院 源頼朝と恋に落ちた伊豆一の美女、八重姫の悲劇

伊豆の蛭ヶ小島に流された源頼朝公と北条政子殿との駆け落ち話については、すでに書いたので、それをご覧いただくとして。 http://qooqoo.hatenablog.com/entry/2013/07/29/000000 今回はそうした歴史の狭間に埋もれてしまった悲しい女子とお父さんのお話。 …

伊豆の北條寺〜北条義時公と伊賀の方夫妻のお墓に行ってきたよ

前回の北條寺へ北条義時公のお墓参りに行った話のつづき。 境内の小四郎山への階段をのぼっていくと、義時公と後妻の伊賀の方の墓所がある。義時公の墓といえば、鎌倉の法華堂があり、遺構が発掘されているが、こちらのお墓は泰時公によってつくられたものだ…

伊豆・蛭ヶ小島 源頼朝と北条政子の駆け落ち〜闇夜に迷ひ、深雨を凌ぎ、君が所に到る…

北条氏ゆかりの地・伊豆は韮山まで行ってきたぞ。伊豆は鎌倉から近いし、何度も行ってはいるけれど、いつも「今度来たときに立ち寄ろう」と素通りをくりかえし、ようやく訪問することができたというわけじゃ。 まずは源頼朝公流刑の地・蛭ヶ小島。現在は公園…

仏日庵 北条時宗、貞時、高時の得宗3代のお墓に行ってきましたよ

所用で北鎌倉へ行ったついでに円覚寺に立ち寄ってきた。北条時宗公が元寇の戦没者追悼のため無学祖元を招いて創建した円覚寺。その奥まったところに円覚寺塔頭の仏日庵がある。 時宗公はここに小さな庵をむすび、禅の修業を行っていた。時宗公没後、そのお堂…

曽我兄弟の仇討ち—黒幕は北条時政?蒲殿・源範頼?

赤穂浪士の討入、伊賀越の仇討とならんで、日本三大仇討のひとつとされる曽我兄弟の討入。梅が咲き誇るこの曽我の郷が、曽我兄弟が育った地じゃ(あ、わしの愛犬は無視してほしい)。 曽我物語について 『曽我物語』で知られるこの仇討は、源頼朝公による富…