鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

鎌倉・室町

仏日庵 北条時宗、貞時、高時の得宗3代のお墓に行ってきましたよ

所用で北鎌倉へ行ったついでに円覚寺に立ち寄ってきた。北条時宗公が元寇の戦没者追悼のため無学祖元を招いて創建した円覚寺。その奥まったところに円覚寺塔頭の仏日庵がある。 時宗公はここに小さな庵をむすび、禅の修業を行っていた。時宗公没後、そのお堂…

曽我兄弟の仇討ち—黒幕は北条時政?蒲殿・源範頼?

赤穂浪士の討入、伊賀越の仇討とならんで、日本三大仇討のひとつとされる曽我兄弟の討入。梅が咲き誇るこの曽我の郷が、曽我兄弟が育った地じゃ(あ、わしの愛犬は無視してほしい)。 曽我物語について 『曽我物語』で知られるこの仇討は、源頼朝公による富…

相模川で源頼朝公の死因を考えてみる

相模川をわたるとき、いつも気になることがある。それは、どうして、源頼朝公ともあろうかたが、とつぜん、ここで落馬したのか、ということじゃ。あ、犬は無視してください。

東勝寺橋と青砥藤綱…十文は小なりと雖 之を失へば天下の貨を損ぜん

「かまくらの景観百選」にも選ばれている、滑川にかかる東勝寺橋。大正13年に建造されたアーチ構造の鉄筋コンクリート橋じゃ。 この東勝寺橋には、川に落とした10文の銭を、50文かけて探したという青砥藤綱の逸話が今に伝わっている。 十文は小なりと雖 之…

源頼朝公のお墓参りへいってきたぞ

源頼朝公のお墓参りに行ってきました。 建久10年(1199)、53歳で亡くなった頼朝公は大倉法華堂(現在の白旗神社)に葬むられる。その後、宝治合戦のおり、北条時頼公に攻められた三浦泰村は一族とともに、ここ法華堂に立て篭もり、頼朝公影像の前で自害した。…

源氏三代の政庁、大蔵幕府跡

治承4年(1180)、富士川の合戦で平氏に勝利した源頼朝公は、鶴岡八幡宮の東側に大蔵御所を築く。現在は「大蔵幕府跡」の碑が残るのみじゃが、以後、頼家公、実朝公を経て尼将軍・北条政子殿が亡くなるまで、この地が鎌倉幕府の中心であった。

北条時政の江ノ島参籠—北条の天下は七代まで?

ごぞんじのように、北条氏は桓武平氏・平直方公を祖とするが、大いに世に出たのは北条時政のときのこと。

鎌倉幕府は「いいくに(1192)」ではなく「いいはこ(1185)つくろう」?

かつて、教科書では源頼朝公が鎌倉に幕府を開いたのは1192年(建久3年)とされ、「いいくにつくろう鎌倉幕府」と語呂合わせでその年号を覚えたものじゃ。じゃが、最近では、鎌倉幕府のはじまりは1185年(文治元年)とされ、「いいはこつくろう鎌倉幕府」と…

鎌倉北条氏の興亡…わしの代で滅んじゃったんじゃ

2007年に県立金沢文庫で行われた特別展「鎌倉北条氏の興亡」の補助解説冊子(監修:水井晋 絵と文:向坂卓也)に載っていた歴代の「三つ鱗」の独白。これ、キャラも事績もよくわかって、なかなか面白いのですが、北条の一族というと、やはり全体的に暗い印象…