鎌倉ではたらく太守のブログ

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源氏三代の政庁、大蔵幕府跡

治承4年(1180)、富士川の合戦で平氏に勝利した源頼朝公は、鶴岡八幡宮の東側に大蔵御所を築く。現在は「大蔵幕府跡」の碑が残るのみじゃが、以後、頼家公、実朝公を経て尼将軍・北条政子殿が亡くなるまで、この地が鎌倉幕府の中心であった。

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鎌倉幕府の所在地は3か所あった。ひとつはここ、頼朝公が開いた大倉幕府(1180-1225)。実朝公の死後、4代将軍藤原頼経公が執務した宇都宮辻子幕府(1225-1236)、4代将軍藤原頼経公から最後の9代将軍守邦親王まで続いた若宮大路幕府(1236-1333)。まあ、いすれの時代も、わが北条が政務をとっていたわけじゃがね。

 

以下は司馬遼太郎さんの『街道を行く~三浦半島記』

頼朝はただ一人でもって坂東武士団の推戴をうけて世に立っている。主役は、坂東武士である。 坂東のひとびとが頼朝に期待したのは 統治者よりも、―くりかえすが― 関東の地で恒常的におこっている農地の所有をめぐる争いの裁き人としてであった。

そう考えると、鎌倉幕府は頼朝公が開いたというより「一所懸命」の坂東武者たちが開かせた、というほうが適切かもしれぬ。それをかすめとったのが北条氏、なかんずく得宗家ということになるわけじゃよ。