鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

腰越の満福寺…左衛門少尉源義経、恐れながら申し上げ候

江ノ電の腰越駅からほど近くにある満福寺。満福寺は、九郎判官こと源義経殿の腰越状で世に知られている。


兄・源頼朝公との不仲を解消するため平家の捕虜を同行し京から鎌倉へ向かった義経殿。じゃが、頼朝公は義経殿が腰越から先、鎌倉に入ることを許さず、義経殿はここ満福寺にとどまり、一通の嘆願状(腰越状)をしたためたという。


腰越状

左衛門少尉源義経、恐れながら申し上げ候。
意趣は、御代官のその一に撰ばれ、朝敵を傾け、抽賞を被るべきのところ、義経犯すことなくして咎を被る。
鎌倉中に入れられざるの間、素意を述ぶるに能はず、いたずらに数日を送る。
本意は、亡魂の憤りを休めたてまつり、年来の宿望を遂げんと欲するの他事なし。
あまつさへ五位の尉に補任の条、当家の面目、何ごとか、これに加えんや。
憑(たの)むところは他にあらず、ひとへに御慈悲を仰ぎ、よって一期の安寧を得ん。
愚詞に書きつくさず、省略せしめ候ひおはんぬ。
 義経 恐惶謹言

要するに、

俺は兄上の命令に従ってがんばってきたのに、だれかが俺の悪口をいったせいで、ほめられるどころか、怒られてしまい、たいへん悲しい。兄上に逆らう気なんてありませんので、わかってください。

ということらしい。

この手紙を受け取ったとき、頼朝公は「わかってねぇな、こいつ」と思ったことじゃろう。頼朝公にとって、警戒すべきは、なんといっても同じ源氏の嫡流の血をひく身内。いつ義経殿が担ぎだされて、自分に対抗してくるかわかったもんじゃない。それなのに、勝手に後白河法皇におだてられ、官位をもらって喜んでいるようでは、危なっかしくてみてられない。どうせ詫びるなら、頭を丸めるとか、一族郎党に暇を出すとか、自分が兄の脅威にはならないことを身を以て示せばよかったのじゃが……

けっきょく、義経殿は空しく京へ戻り、奥州へと落ち延びていく。そして、それから4年後、義経が満福寺へ帰ってきたときには、もうすでに首だけになってしまうのじゃ。

なお、満福寺境内には義経殿が使っていた井戸のあととか弁慶が腰掛けたという石もある。義経殿については、また、いずれ。