読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

足利家時の置文……三代の中にて天下をとらしめ給へ

太平記

しかし、足利高氏はなにゆえ、鎌倉を裏切ったのでしょうか? 

まさか、高時の愛犬に噛みつかれたことをまだ根にもったとか?

それとも、父・足利貞氏の喪も明けぬうちに、笠置攻めを命じられ、仏事もろくにさせなかったことを恨んでいる?

それとも……

じつは、足利家には、祖・八幡太郎義家から代々当主に伝わる「置文」があって、そこには、「自分は七代の子孫に生まれ変わって天下を取る」と書かれていたそうじゃ。

その七代目にあたるのが足利家時。家時は、上杉重房の娘を母としており、足利氏では、北条の娘を母としないはじめての当主じゃった。

同じ源氏の新田とちがって、足利は代々、北条と協調して力をつけてきたが、時宗公の頃からは、得宗専制が強まり、足利への風当たりも強くなっていったらしい。

霜月騒動のときに、家時もいっちょかみしていたのでは?という話もある。家時は、安達泰盛の与党であった北条一門佐介時国の失脚に関連して自害したのではないか、とも。

ともかく、「北条ごときが何をエラそうに!われらは源氏ぞ!!」と、家時がなったとしても、べつに不思議ではない。

ただ、北条の天下はきしみはじめていたとはいえ、貞時の時代は盤石だったから、家時は自分の代で家祖の願いを果たせそうもない。

そこで家時は八幡大菩薩に「三代後に天下を取らせよ」と祈願した「置文」を執事の高師氏に託して自害したというのじゃ。

その三代目にあたるのが、足利高氏というわけ。


ちなみにこれは高氏ではなく、高師直ではないかといわれているみたいじゃが、当方のイメージの高氏はこれなんで、勝手ながらこのイメージで書き進めるとしよう。

で、今川了俊の『難太平記』より。

さればまた義家の御置文に云ふ「我七代の孫に吾生替りて天下を取るべし」と仰せられしは家時の御代に当たり、猶も時来らざる事をしろしめしければにや、八幡大菩薩に祈申給ひて、「我命をつゞめて、三代の中にて天下をとらしめ給へ」とて御腹を切り給ひしなり。
その時の御自筆の御置文に子細は見えしなり。
まさしく両御所(高氏、直義)の御前にて故殿も我等なども拝見申たりしなり。
「今天下を取る事、唯此発願なりけり」と両御所仰せ有りしなり。

なんで、足利家だけに義家の「置文」が託されたのか? それに、源氏による天下取りの願いは、直系で四代後の源頼朝が成就してくれたじゃんか!——そんなつっこみは、ここではやめておこうw

 

たしかに源義家の「置文」については嘘くさい感じがする。ただ、その内容はともかく、家時の「置文」は実際に存在したという記録が残っているようですし(原文はもちろん残っていない)。

これが事実だとすると、足利家は代々、臥薪嘗胆、卑屈になりながら力をためてきたということになる。そして足利高氏は、鎌倉を裏切り、六波羅を陥落させ、やがて後醍醐天皇にも謀叛をおこし、天下をとる。

ワシは「高時」の「高」の字を与え、後醍醐帝も「尊」の字をあげたけど、けっきょくは二人とも裏切られてしまったというわけじゃ。

まあ、字なんかもらってもしょうがないんじゃがね。