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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

鎌倉宝戒寺の德崇大権現大般若転読会に行ってきたぞ

今日5月22日は鎌倉幕府が滅亡した日。ということで、ちょうど仕事もお休みだったので、鎌倉の宝戒寺で行われる德崇大権現大般若転読会へ。

元弘3年/正慶2年(1333)5月22日、新田義貞による鎌倉攻めで追いつめられた北条一族は、菩提寺である葛西ヶ谷の東勝寺で一族870人とともに自刃、鎌倉幕府は滅亡した。  

鶴岡八幡宮のほど近くにある宝戒寺は、北条氏の供養を目的に、後醍醐天皇の命により、足利尊氏が建立したお寺で、萩で有名なお寺でもあるんじゃ。 
もともとは北条執権屋敷があった場所で、高時が朝に夕に宴会をし、ひたたれや袴を投げ与えて褒美の山を築いたのもこの場所じゃ。

 

境内の一角にある德崇大権現社。祠の中には、最後の得宗、わし、北条高時の像が安置されている。今日は、その祠の中から1年ぶりに出られるので、たくさんの歴史ファンや歴女が……といいたいところだが、そうでもないw まあ、今日は平日だからしかたがないのう。

僧侶たちの読経の後、神輿に担がれて、いよいよ高時公の登場。久しぶりの陽光はまぶしすぎる!と思ったら、ちゃんと赤い蛇の目をさしてくれる人がいました。細かなお心遣い、痛み入る。
 
この後、本堂の奥に高時公が移され、読経がはじまる。僧侶たちは文箱の中から教典を取り出し、舞扇のようにパラパラと開いては閉じ、開いては閉じをくりかえしていく様子は圧巻じゃよ。
その後、歌舞音曲の奉納があり、もとの祠にもどされる。般若心経をお唱えした、つぎのお出ましは、また来年じゃ。
 
ちなみに、NHK大河ドラマ太平記」で片岡鶴太郎さんが演じた北条高時には、こんな台詞がある。 
足利や新田は戦が好きなのじゃ。この高時は大の戦嫌い。 戦嫌いが戦好きに勝てるわけがない。 もはや政にも疲れたのじゃ。 何の患いものう、ゆっくりしたいのじゃ。  
わが父貞時は、公平な政で名執権とうたわれたお方という。 その父上に母上はこう仰せられた。なにごとも公平と申されるからには、嫡子と生まれしこの高時をかならず跡目におつけくだされ。つむり(頭)がいささか弱いからとて、無きもののように投げ出されますな。 
それでこの高時は、執権になり、くたくたになり、生涯、名執権の父上に頭があがらず、母上に頭があがらず。はてさて、公平とは疲れるものよ…… 
これ、なかなかわしらしい台詞じゃな。