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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

薩摩人 みよや東の丈夫が 提げ佩く太刀の利きか鈍きか…「八重の桜」は西南戦争まできたぞ

大河ドラマ「八重の桜」は、明治編になってからというもの、同志社設立にかかわるバタバタを描くばかりで、会津のことなどすっかり忘れたホームドラマ仕様になってしまっておった。じゃが、今夜はいよいよ「西南戦争」じゃ! 戊辰の仇! 芋征伐仰せ出されたりと聞く、めでたし、めでたし!と、鶴ヶ城落城以来、ドラマ後半最大の盛り上がりになるはずの回ということで、おおいに期待しておったのじゃが……まあ、こんなもんか。

薩摩人
みよや東の丈夫が
提げ佩く太刀の
利きか鈍きか

山川浩が大書するのを、佐川官兵衛と藤田五郎(斎藤一)が、感慨深く眺める。とくに、官兵衛さんは「やっと、あの大失態をとりかえすことができる」としみじみ。戊辰戦争の折、出撃前夜に松平容保に酒をふるまわれ、つい深酒をして翌朝の出陣に寝坊したという、例の事件ですね。やはりずっと、気に病んでいたんじゃろう。

さてドラマでは、佐川官兵衛と藤田五郎(斎藤一)は、ともに抜刀隊として出陣。官兵衛は田原坂で壮烈な戦死を遂げる。じゃが史実としては、佐川官兵衛は豊後口第二号警視隊、藤田五郎は別働第三旅団豊後口警視徴募隊としての参戦で、ともに抜刀隊ではない。また佐川が戦死したのは同じ熊本でも田原坂ではなく阿蘇じゃ。

とはいえ、抜刀隊には会津藩や旧幕府出身者が多かったということじゃし、なにかと会津藩とご縁がある大山巌を登場させるうえで、このくらいの脚色はありかもしれんがの。
君がため都の空を打ちいでて
阿蘇山麓に身は露となる
こちらは、佐川官兵衛が出陣する前に詠んだという辞世。

戦場で西郷隆盛山川浩が遭遇してしまうのも、ドラマだからありじゃろう。もちろん山川は「戊辰の恨みだ、ざまあみろ!」なんて下品なことは言わない。

「恭順した会津を、なぜ執拗に追い詰めたのか」−−視聴者がいちばん聞いてほしいことを西郷に詰問する。ここ、制作者側の意図もわかる、ドラマ全体のなかでもかなり重要な位置付けのシーンなんじゃよ。

西郷「旧勢力が会津に結集しては、いつまでたっても戦は終わらん……」
山川「会津は人柱かっ! いまのこの国は会津人が、会津人が流した血の上にできあがっている!」
西郷「そいを忘れたこつはなか……じゃっとん、もう収めなならん。内乱は二度と起こさん。おいがみな、抱いてゆく」

……まあ、そういうことか。

とうぜん、薩摩にしてみれば、そういうことにるわけじゃし、吉川晃司の西郷どんは、不思議な魅力があるので、何も言い返せん。ただ、そういうことなんじゃろうけど、それでお終い? ちょっと、あっさりしすぎじゃないか? 西南戦争を描く回としては、もう少し丁寧にやってほしかった。まあ、京都での八重さんのホームドラマも描かないといけないから時間がないのかもしれんが、ちょっともったいない感じがしたな。しかし、あらためて考えてみると、戊辰戦争から西南戦争までの内戦は、けっきょく誰得だったんじゃろうかのう。