鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

覚海尼円成…女丈夫な北条高時の母が余生を過ごした伊豆・円成寺跡

円成寺は、ワシ・北条高時の母・覚海尼が、北条氏滅亡後、一族の菩提を弔って余生をすごした尼寺じゃ。すでに廃寺になっており、伊豆の国市教育委員会が発掘調査をしてきたが、現在は埋め戻され、立ち入り禁止になっている。もともとは北条氏の居館があった場所で、狩川沿いの守山登山道入口の近くには、案内板が設置されている。

母・覚海円成は、安達氏の一族で安達泰宗の娘。9代執権北条貞時公の側室で、ワシと弟の泰家を生んでいる。大方殿、あるいは山内に住んでいたことから山内禅尼とも呼ばれていた。

わしが病を理由に出家したときに、母上はつぎの執権に弟の泰家を推した。しかし、内管領長崎円喜・高資父子は、高時の長男・万寿までの中継ぎとして金沢貞顕を擁立してしまう。これに激怒した母は泰家とともに貞顕を誅殺しようとしているとの風聞がたち、貞顕は恐れおののいて執権の職を辞したんじゃ。なかなかの女傑ぶり、女丈夫ぶりは、北条政子殿クラスかもしれぬのう。

いっぽうで禅に深く帰依し、夢窓疎石を鎌倉に呼び寄せて参禅し、貞時十三回忌供養では建長寺に華厳塔を建立したり、東慶寺に梵鐘を寄進している。仏画にいそしみ、仏にすがったワシは、じつは母の影響をうけているのじゃよ。

覚海尼と高時といえば、NHK大河ドラマを思い出す人も多いじゃろうな。片岡鶴太郎演じる高時が、新田義貞が鎌倉に攻めてきたという報せを聞き、鼓を打ちながら、覚海尼にこうつげる場面。
わが父貞時は、公平な政で名執権とうたわれたお方という。
その父上に母上はこう仰せられた。なにごとも公平と申されるからには、嫡子と生まれしこの高時をかならず跡目におつけくだされ。
頭(つむり)がいささか弱いからとて、無きもののように投げ出されますな。
それでこの高時は、執権になり、くたくたになり、生涯、名執権の父上に頭があがらず、母上に頭があがらず。
はてさて、公平とは疲れるものよ。

女傑と同時に、教育ママという感じじゃが、母の愛と期待の大きさに「亡気」な高時くんはおしつぶされてしまったのじゃよ。

そして運命の5月22日。ワシら一族が自刃し、鎌倉が火の海になる様子を、母上は山内から、どんな気持ちでみつめていたのじゃろうか。その後、伊豆で暮らした母上はの歌が夢窓疎石の歌集『正覚国師集』に残されている。

相州高時禅門の母儀、伊豆の北条にすみける時、よみてたてまつられける
 あらましにまつらん山ぢたえねただそむかずとても夢の世の中
この歌は、世をそむく我があらましの行末にいかなる山のかねてまつらん、とよみ給ひたりしを思ひ出でられたるにや
御返し
 夢の世と思ふうき世をなほすてて山にもあらぬ山にかくれよ

「世を捨てて険しい道を進むわが行く末には、いったいどんな山が待っているのでしょうか」

「険しい山道ですら、すでに途絶えております。自ら世を捨てることなどせずとも、もはやこの世のことは夢の中のようです」

「そうですか。では、夢のようだと思う浮き世を捨てて、どうぞ、山にもあらぬ山の中へとお隠れください」

もはやこうなると、建武政権の瓦解も、南北朝の争乱も、室町幕府の成立も、世事のことはどうでもよく、ひたすらに北条一族の冥福を祈る母上の姿が目に浮かんでくる。いや、孫の時行のことは気にかけていたかもしれんな。

覚海尼は、この地で、北条一族の女性たちと、身寄りのない女児や生活に困った未亡人たちを救済しながら静かに暮らし、興国6年/康永4年(1345)、8月12日に没。

円成寺跡