鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

後醍醐天皇を影で支えた妖僧・文観のこと

今日は、後醍醐天皇による鎌倉討幕計画に加担した妖僧・文観のことじゃ。

文観は円観とともに、後醍醐天皇中宮・禧子の安産祈願にかこつけて、関東調伏を行ったので、硫黄島へ遠流にしてったんじゃよ。 

文観は後醍醐天皇フィクサーだった?

作家の永井路子さんは、文観について『続・悪霊列伝』でこう書いている。

じつは、彼こそ後醍醐の側近第一号で、討幕にはじまる南北朝動乱の企画・立案・演出・出演者なのである。後醍醐の動きを追うと、文観が黒幕として采配を振るっていることがよくわかる。たとえば討幕に失敗した後醍醐がはじめに逃げこんだ笠置山笠置寺は、文観の相弟子、聖尋が管理する寺だし、二度目に逃げ込む吉野山には、有名な醍醐寺系の寺、金峯山寺がある。

たしかに播磨の赤松円心、河内の楠木正成後醍醐天皇を結びつけたのも文観だといわれている。

また当時は、悪霊とか呪術が効力をもち、宗教勢力がパワーをもっていた時代。
たとえば児島高徳は熊野の山伏たちが開いた児島修験の人物だし、隠岐を脱出した後醍醐天皇を擁した名和長年が立て籠もった船上山 には、大山寺の僧兵たちが駆けつけている。
醍醐寺座主の文観が、修験系の寺院を倒幕運動に引き込み、 天皇方を支えていたのじゅじゃろうか。
日野俊基も修験者として山伏姿で諸国の反鎌倉勢力を糾合していたしのう。

文観は「淫祠邪教」とされた真言立川流の大成者

文観は真言立川流の大成者といわれている。もともとは西大寺に属する播磨国北条寺の僧・道順から真言密教立川流の奥義を学んだようじゃ。

立川流というのは、どうやら真言宗から派生した密教の一派。男女交合の境地を即身成仏の境地と見なし、オーガズムに達することで大日如来と一体になる……んん???
仏教では禁止されている性交を奨励していたことで、一般的には「淫祠邪教」とされ、江戸時代には完全に廃れてしまったそうじゃ。

なんでも髑髏本尊とかいう怪しげなものがあって、高貴な人の頭蓋骨に呪符を入れ、男女の精液を混合した和合水を塗って、金銀箔を貼り、髑髏に魂を吹き込んで本尊としたとか(俗説とも)。
ふつうじゃない。文観による関東調伏の呪術でも、髑髏本尊がつかわれていたのじゃろうか。


まあ、当方は素人ゆえ、この教義については深入りをさけ、あらためて文観のこと。
文観は「験力無双の仁」との評判になり、密教好きの後醍醐天皇の帰依を受ける。
そういえば、有名な後醍醐天皇の肖像画には密教の法具が描かれている。
薄着の美女をはべらせて、夜な夜な討幕計画を練り上げたという「無礼講」。
後醍醐帝も文観も参加していたのじゃろうが、そこでどんなことが行われていたのか……想像力をたくましくしてしまうね。

 

後醍醐天皇

 

妖僧・文観

さて元弘の変で、後醍醐天皇による2度目の討幕計画が露見すると、文観は関東調伏の嫌疑で鎌倉に護送されてきた。

文観房暫が程はいかに問れけれ共、落玉はざりけるが、水問重りければ、身も疲心も弱なりけるにや、「勅定に依て、調伏の法行たりし条子細なし。」と、白状せられけり。

そこで文観は拷問に耐えかねて事の次第を白状し、硫黄島へと遠流となる。
しかし、さすがは妖僧、鎌倉幕府が滅亡すると、意気揚々として京都に戻ってきて、東寺一長者として、後醍醐の建武政権のもとで顕密仏教界の頂点に立つ。
建武政権では栄華を極め、千種忠顕とともに、その奢侈ぶりが「太平記」に記されておる。

彼文観僧正の振舞を伝聞こそ不思議なれ。適一旦名利の境 界を離れ、既に三密瑜伽の道場に入給し無益、只利欲・名聞にのみにて、更に観念定坐の勤を忘たるに似り。 
何の用ともなきに財宝を積倉不扶貧窮、傍に集武具士卒を逞す。成媚結交輩には、無忠賞を被申与ける間、文観僧正の手の者と号して、建党張臂者、洛中に充満して、及五六百人。されば程遠からぬ参内の時も、 輿の前後に数百騎の兵打囲で、路次を横行しければ、法衣忽汚馬蹄塵、律儀空落人口譏。

しかし、「太平記」の作者も眉をひそめる奢侈ぶりは、長くは続かなかった。
邪教立川流は、やがて高野山衆徒からの弾圧をうける。そして文観もまた東寺長者の地位を剥奪され、甲斐国へと流されていく。

しかししかし、それでも文観はへこたれない。
南北朝の動乱が始まると吉野に赴き、後醍醐天皇亡き後も、南朝興隆のために働いている。
もっとも、この頃には足利尊氏も寺社勢力をとりこみ、文観の影響力は、鎌倉討幕の頃ほどではなかったようで、南朝は次第に衰退していくのじゃがね。

そして、正平12年/延文2年(1357)10月9日、河内国金剛寺で入滅。享年80。
まさに妖僧の異名にふさわしい、豪快な人物だったようじゃ。


北条氏の滅亡は、ともすれば楠木正成足利高氏新田義貞など、武士たちの動きにばかり目がいきがちじゃが、宗教勢力、山伏たちのネットワークというのが大きかったようじゃな。