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鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

刀伊入寇と天下のさがな者・藤原隆家

以前から気になっていた葉室麟さんの『刀伊入寇〜藤原隆家の闘い』が文庫になったのを機会に購入。さすがに直木賞作家、一気に惹きこまれたぞ。本書の内容については、ネタバレになったら申し訳ないし、そもそも、そういうレビューは当方、あまり得意じゃないので、ここでは、刀伊の入寇という事件と、藤原隆家という人物について備忘録的に書いておこうかと。

 「刀伊の入寇」とは?

刀伊の入寇」とは、寛仁3年(1019年)に、女真族壱岐対馬を襲い、筑前に侵攻してきた事件。教科書にものっていたけれど、白村江の戦い元寇に比べると、きちんと習ったという印象がない。

刀伊とは、高麗語で高麗以東の夷狄、つまり東夷に、日本文字を当てたものらしいが、そもそも「女真族」がいまいちピンとこないわけで。ただ、12世紀に金、17世紀には清を建国した満州民族の起源といえばイメージがつく。

この頃、女真族アムール川水系と日本海北岸からオホーツク海にかけて活動していて、その一派がとつぜん日本に侵攻、海賊行為をしかけてきたということらしい。

海賊行為というと、大したことないようにも思えるが、約3,000人50隻の船団を組んでの来襲であり、対馬では放火や殺人、略奪行為が繰り返され、多くの島民が捕虜として連れ去られた。

壱岐でも、刀伊は老人や子どもを殺し、壮年の男女を船にさらい、蛮行の限りを尽くしたという。

国司壱岐守・藤原理忠は、わずかな手勢を率いて戦ったが、多勢に無勢で玉砕しているし、嶋分寺の常覚は僧侶や島民たちと協力して刀伊を三度退けているが、けっきょくは陥落している。

これを撃退したのが、この小説の主人公で、天下の「さがな者」(荒くれ者)こと大宰権帥藤原隆家というわけ。

天下の「さがな者」・藤原隆家

藤原隆家は、関白道隆と高階貴子の子で藤原北家・中関白家の流れを汲む貴公子。中宮定子を姉にもち、「枕草子」などにもしばしば登場するし、「大鏡」は、隆家を「やまとごころかしこくおはするひとにて……」と評している。


ただし隆家は、いわゆる「まろ」系の人ではなく、「天下のさがな者」とよばれる剛毅な性格だったらしい。

そんな人だから、弓で花山法皇の衣の袖を射抜く事件をおこして、叔父で政敵・藤原道長により兄・伊周とともに左遷されてしまう(長徳の変)。

その後、一時、京に復帰するも目病を患い、その治療のために、大宰権帥として九州に下り、その折に刀伊の入寇を迎えることになる。

葉室麟さんの『刀伊入寇〜藤原隆家の闘い』は、<龍虎闘乱篇>と<風雲波涛篇>の二部構成となっていて、前半は花山院や藤原道長との闘乱が、後半は刀伊との激闘が描かれている。

心に荒ぶるものを抱えている隆家が、陰陽師安倍晴明から「あなた様が勝たねば、この国は亡びます」と告げられ、京の政争に見切りをつけ、未曾有の国難に自ら身を投じて行く様には、清々しさと凛々しさを感じる。

まろたちのダメダメぶりがなんとも

対照的に「まろ」系貴族のダメダメぶりにはやりきれない情けなさを感じる。

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」

刀伊が襲来した当時は、藤原道長が引退し、頼通が政権を握っていた摂関政治の全盛期。

外敵の襲来に対して、京の公家たちは、当初はどこが攻めてきたのかすらわからず、ただただ、おろおろするばかりだったという。

 
しかも、隆家や九州武士団の活躍で刀伊を撃退したという報らせが入ると、さらにダメダメぶりを発揮している。
「やれやれ。なんや大騒動して損したような気がいたしますなあ」
「もともと大した賊やなかったのやおへんか」 
「そもそも恩賞を与えねばなりまへんのやろか」
「そうやな。このたびは褒賞なしでええやろ」
「賊もすぐに追い払えたところをみたら、たいしたことなかったみたいやし」
貴族たちは笑い飛ばすことで、刀伊によって殺された者三百六十五人、連れ去られた者千二百八十九人、奪われた牛馬三百八十頭という被害の甚大さからは目を逸らした(葉室麟著『刀伊入寇』より)。
なんか、この雅な会話の場面が、ものすごく目に浮かぶんですけどw
 
ただ……近隣諸国との領土問題で騒がしくなってきた昨今、ひょっとすると現代の多くの日本人は、みんな「まろ」たちと似たり寄ったりなのではないか、と考えたりもしてしまう。
まあ、多くの人が「まろ」でいられるのは、なんだかんだいっても平和で幸せなことではあるのじゃが。