鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

貝吹地蔵…太守の首を新田に渡すな!

本日5月22日は、新田義貞の鎌倉攻めにより、北条高時以下一族が集団自決し、鎌倉幕府が滅亡した日。ということで、鎌倉の宝戒寺では、北条一族を供養するための德崇大権現大般若転読会が開催された。

德崇大権現大般若転読会 北条高時
德崇大権現大般若転読会 北条高時

13時、ワシも1年ぶりに祠からお出ましwww
境内にはたくさんの(嘘)北条ファンが集まっていたが、たまたま修学旅行や遠足で立ち寄った学生や児童たちは、「なにやってんの?」と最後まで事情がのみこめなかったようじゃ

読経の後は、お抹茶接待があり、筝や尺八、舞の奉納もあるが、今回は途中で抜け出し、ワシの首が埋葬されたという伝承がある、瑞泉寺の裏山に向かうことにした。

 
瑞泉寺 天台山
瑞泉寺 天台山
 
東勝寺で自害したワシの首は、家臣の手によってこの山中に葬られたとの伝承がある。
瑞泉寺の案内板にも、しっかりと書いてあるぞ。
 
ということで瑞泉寺の脇から天園ハイキングコースを進んでいく。「北条家の家臣たちは、主君の首をかついで、この道をいったのか……」などと思いを馳せながら、ひたすら歩いていくと……こんな石標が出てくる。
 
北条首やぐら
 
瑞泉寺山内 従是右 北條家御一門……???」 あとは埋まっていて読めませんw
 
指示に従って右に折れると、ちょっと不気味な(失礼)やぐらが出てきた。中は五輪塔らしきものがみえましたが、暗くてよく見えない。やぐらは3つ(4つ?)並んでいたけど、どれがワシにかかわるものなのか、素人では見当がつかない。
やぐらの中には石壁への彫刻なんかもあると聞いていたけ、ここに侵入していく度胸など毛頭ないので、ここは手を合わせて過ぎ去ることに。
 
北条首やぐら
北条首やぐら
 
続いて、「お塔の窪やぐら」に向かう。
こちらもまた、ワシの首を葬ったという伝承がある場所だ。
天園ハイキングコースから右にそれる道下りがあると聞いていたけど、よくわからず、何度か行ったり来たり、うろうろと。
ようやく見つけた道は、「ほんとにここ」とちょっと心配になったけど、ともかくも進んで行く。
途中に倒木があったりするけれど、気にせず進む。
山道をふみいっていくと、ようやく やぐらが出てきた。
 
 
やぐらをのぞくと、さっきの北条首やぐらよりは、こっちのほうが「らしい」かな?
たくさんの供養塔がったけど、中央の五輪塔がワシのものらしい。
 
あらためて合掌……
 
このあたりで、ちょっとお天気があやしくなってきたこともあり、先を急ぐことにし、天園ハイキングコースに戻って、貝吹地蔵をめざす。
 
鎌倉が炎に焼かれ、新田軍に追われた北条家の家臣たちは、高時の首をもって山中を逃げ回っていた。
すると、このお地蔵さんが、ほら貝を吹いて逃走ルートを案内したというのだ。
おかげで高時の首は敵の手に渡ることなく、このあたりに無事に埋葬されたという伝承が残されている。
 
貝吹地蔵
 
新田義貞の鎌倉攻めに激しく抵抗した北条軍だったが、正慶2年(1333)5月22日、時運拙く鎌倉は陥落。
北条一族はだれひとり高時を見限ることなく東勝寺で壮烈な自刃を遂げる。
 
その日、多くの北条の兵たちが、この山中に逃げ込んだことだろう。
山中から燃え盛る鎌倉の街を目にしたとき、胸中の無念さはいかばかりか。
後年、捲土重来、北条時行による中先代の乱をはじめとする北条残党の決起に加わった者も少なくなかっただろうが、歴史の流れを巻き戻すことはできなかった。
 
太守・高時の首を守りとおし、ついに京に晒すことを許さなかったこと。
ここに北条武士の意地をみる思いがするのですが、いかがかのう。
 
と、まあ、「鎌倉のいちばん長い日」につらつらと駄文を披露し、失礼しました。