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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

じつに壮大な戦国絵巻「大関ヶ原展」に行ってきたよ

本日、大関ヶ原展にいってきた。GWということもあり、かなりの混雑で待機列は90分待。さすがにちょっとへこたれたけど、それでも十分に戦国浪漫を堪能してたぞ。

会場に入ると、関ヶ原合戦図屏風が気分を盛り上げてくれる。そして秀吉の死から、関ヶ原の戦いに至る経緯、当日の戦況、戦後処理といった具合に、武将たちの肖像画、甲冑、手紙などなど、貴重な資料が展示されていた。


まず、目を引いたのは「直江状」(江戸時代の写し)。
直江状については後世の創作という話もあるが、徳富蘇峰をして「関ヶ原役中の一大快文字」といわしめた、徳川家康への強烈な皮肉に満ちた書状が創作というのはあまりにも惜しい。むかし見たドラマ「関ヶ原」で、細川俊之さん演じる直江兼続が、森繁久彌さん演じる徳川家康直江状で挑発した場面が格好良くて、わしの中では確実に存在したことになっておる。
ということで今回、目を皿のようにしてたんじゃが、「家康か秀忠が会津に下向(征伐)する用意があるみたいだから、なんならそのときにお相手(迎撃)いたしましょう」という挑発的な追而書は、やはりなかった。

そして13カ条から成る徳川家康の罪状を告発する「内府ちかひ(違い)の条々」や石田三成の書状、宇喜多秀家他の連署状なども、天下分け目の決戦への気分を盛り上げてくれた。そして前哨戦ともいえる伏見城、大津城、田辺城籠城戦に関する展示で、心は一気に関ヶ原決戦へと向かう。
徳川家康から京極高次への書状があった。内容は石田三成らの動向を知らせる高次の注進に、家康は感謝の意を示し、必ず上洛するから大津城の防備を固めるよう指示するもの。こんなのもらったら、蛍大名と揶揄された高次も、張り切らざるを得なかったじゃろうよ。
そして小早川秀秋に宛てた浅野幸長と黒田長政連署状。「北政所(高台院)の意向に沿って、お前も徳川に味方しろ」というものじゃが、じつに生々しいお手紙に金吾殿のゆれる心を想像しながら、じっと見入ってしったよ。


徳川四天王の甲冑は迫力があったな。とくに井伊直政の真っ赤な具足はひときわ目を引いた。徳川家の先鋒として開戦の火蓋をきった直政。そして、中央突破で戦場を離脱する島津軍を追った直政。そこへ登場するのが、そう豊さんこと島津豊久! うーん、「ドリフターズ」の世界じゃ。

そして、今回、もっともお目当てにしていたのが本多忠勝の蜻蛉切。たぶん、そういう人はかなりいるじゃろう。戦場で槍を立てていたところ、穂先に止まった蜻蛉がまっぷたつに切れてしまったという、村正の弟子・藤原正真作の、あの天下の名槍じゃ。なんとも繊細で妖しい輝きには、トンボでなくても吸い込まれてしまいそうで、90分待ちや混雑へのイライラもふっとんだよ。

平塚為広の肖像画もぐっとたな。大谷吉継とともに小早川秀秋の裏切りを予想し、見事に撃退した為広じゃったが、脇坂安治やの連鎖的な裏切りにより、戦場に散る。「名のために棄つる命は惜しからじ 終にとまらぬ浮世と思へば」という辞世には、もののふの心を感じるではないか。
もちろん「今から松尾山にいって金吾の首を叩き切ってやる!」と激高したといわれる宇喜多秀家もまた、やる気のない西軍の中で孤軍奮闘。備前中納言殿、よくがんばったぞ。
ちなみに大谷吉継が、小早川秀秋に「人面獣心なり 三年の間に祟りをなさん」といいながら腹を斬ったという話はほんとうなんじゃろうか。

他にも、石田三成の愛用の刀、島左近の兜、大谷吉継の短刀などなど、見どころ満載の大関ヶ原展。混雑する中、「早く進んでよ」という後ろからの視線を浴びながらも、じっくりとみさせてもらい、戦国絵巻を十二分に堪能させてもらったよ。

ということで興奮冷めやらぬまま帰宅。久しぶりに司馬遼太郎さんの『関ヶ原』を読み返してみようかのう。