鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

真木和泉、形は足利尊氏でも心が楠木正成ならいいのだ!

先日の大河ドラマ「花燃ゆ」は、長州藩がいよいよ暴発して、蛤御門の変に至るお話じゃった。ドラマとしては見せ場のはずじゃが、視聴率はあいかわらず低迷しているようじゃな。

以前も書いたんじゃが、このドラマ、長州藩が勝手に騒いで勝手に暴発して、ほうぼうで迷惑をかけているようにしかみえないんじゃよ。来島又兵衛とか「お前、何様?」といった描かれ方だしね。

ところで、いまさらなんですが、真木和泉がぜんぜん出てこないね。

 

真木和泉筑後久留米の神官で本名は保臣(やすおみ)。江戸や水戸に遊学し、会沢正志斎の影響をうけ、尊攘志士として奔走します。水戸藩の藩政改革や寺田屋事件に関わり、孝明天皇の大和行幸と攘夷親征を長州に入知恵したのも真木和泉じゃった。その結果、長州藩七卿落ちを招き、真木和泉も長州兵とともに上洛し、蛤御門の変敗れて自刃している。

さて、大河では、進発を躊躇する久坂玄瑞来島又兵衛が「臆病者の医者坊主に戦のことなどわかるか!」と食ってかかり、これがきっかけで兵を進めることが決まっていった。

じつはこの場面、真木和泉のつぎのような発言で、みなが奮い立ち、進軍が決定したともいう話がある。

朝廷に攻め入るという形は足利尊氏であっても、心が楠木正成であるならばよいではないか。
こらこら、ぜんぜんよくないぞwww
おかげで京の都は焼け野原。長州藩は薩摩・会津に敗れ、朝敵になるわけじゃからな。
南北朝クラスタとしてはスルーできないセリフではあるが、幕末の人たちは水戸学のせいで、みんな、こんな調子だったんかのう。
ともかく真木和泉は同志16名とともに天王山で自刃します。元治元年(1864年)7月21日、享年52歳。
大山の 峰の岩根に 埋めにけり わが年月の 大和魂 
こうしてつらつらと書いているうちに、真木和泉を「花燃ゆ」に出さなかったプロデューサ、脚本家の気持ちがなんとなくわかる気がしてきた。来島又兵衛とふたり、キャラが強烈すぎて、イケメンたちの存在が吹っ飛んじゃうからねwww