鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

生まれながらの鎌倉殿、源頼家公の不運

今日は源頼家公について。頼家公といえば、大河ドラマ草燃える」では郷ひろみさんが演じておられ、その印象が強いんじゃが、それにしても不運なお人じゃったな。

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源頼家公は、源頼朝公の嫡男で母は尼将軍こと北条政子さま。生まれながらの「鎌倉殿」で、蹴鞠や武芸にすぐれたスポーツマンじゃった。

富士の巻き狩りでは、見事に鹿を仕留め、喜んだ頼朝公は御家人の前で頼家公をもちあげ、政子さまにもその報告の手紙を出している。これは、頼家公こそが鎌倉殿の後継者であることを神が承認したということを御家人たちに周知する儀式みたいな意味もあったとか。もっとも政子さまは「武士の子ならそのくらいは当たり前でしょう」と、頼家公をあまりほめてあげなかったようで、このあたりが、後に政子さまが頼家公を疎んでいたといわれてしまう理由のひとつになるわけじゃよ。

さて、そんな頼家公が頼朝公の急死により、2代将軍に就任したのは18歳のとき。ワシも生まれながらの得宗家の太守で、14歳と若くして執権になっておるから、頼家公の気持ち、苦労はよ〜くわかる。

じゃが、『吾妻鏡』での頼家公は、遊興にふけり家来の愛妾を寝取る暗君と、すこぶる評判が悪い。もちろん歴史は勝者がつくるもの。ワシがいうのもお門違いじゃが、『吾妻鏡』はわが北条の正史だから、頼家公はじっさい以上に悪口をかかれていることは確かじゃ。ワシも後世、『太平記』でボロクソに描かれているのと同じじゃな。

 

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たとえば、ある土地の訴訟問題。『吾妻鏡』には、頼家公が「土地の広い狭いが生じるのは、運しだいだから、これからはこうして決めればよい」と、自ら筆をとって地図の真ん中にビーっと一本線を引いて裁決したとある。斬新ではあるし、わかりやすいが、土地のために一所懸命の鎌倉武士としてはついていけないわな。

この話が事実かどうかはさておき、少なくとも頼家公が御家人たちに支持されなかったことは確かじゃ。頼家公はわずか就任3カ月でダメ出しをくらい、鎌倉幕府は御家人たち十三人の合議制で仕切られることとなる。ちなみに、これは御家人たちの総意による決定事項なので、北条の陰謀でもなんでもないことを付記しておく。

すでに東国武士団は、将軍による独裁への不満がたまっていたんじゃ。それでも頼朝公ならば、まあ、みんなを納得させる器量、カリスマ性があったけれど、頼家公にはそれは無理! ならば、ワシのように傀儡でもよし、とする諦観をもてればよかったのじゃが、公のキャラとプライドはそれを許さなかったんじゃろうよ。祖父の時政公、尼御台さまの諌言も容れず、頼家公は好き勝手、北条との対立は深まっていく。

そうした中で、頼家公のお味方であった梶原景時比企能員は粛清されてしまう。また、仁田忠常にいたずらをさせて、神様の怒りをかったのはいかにもまずかった。

かくして頼家公の運命は暗転していく。その経緯は、こちらのエントリーをご覧くだされ。