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鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

後鳥羽上皇は怨霊になったのか?…人定めて崇徳院のごとき沙汰を致すか、全く願うところにあらず

きょうも怨霊の話の続き。承久の変でワシら北条が隠岐にお流しした後鳥羽院についてじゃ。後鳥羽院崇徳院と同様、隠岐へ配流直後から怨霊として祟りをなすと思われておったのじゃが……

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ところで、竹田恒泰さんは著書『怨霊となった天皇』で、「怨霊が生まれる3条件」を紹介している。

怨霊が成立するためには、死者が深い恨みを持っていた事実と、そのことを残された者たちが知っている事実、そして残された者が負い目を感じていることの3つが条件になる。  

怨霊になった天皇 (小学館文庫)

怨霊になった天皇 (小学館文庫)

 

 

そう、怨霊をつくるのは生きて残された者たちなんじゃな。崇徳院だけでなく、長屋王しかり、早良親王しかり、菅原道真しかり、平将門しかり。怨霊とは、成ろうとしてなれるものではないし、反対に成りたくなくてもなってしまうものなんじゃよ。それは後鳥羽院の怨霊騒動をみてみればよくわかる。

 

承久の乱のあと、北条義時公は後鳥羽上皇隠岐土御門上皇を土佐、順徳上皇佐渡へ配流にした。もともと穏健派の土御門上皇はともかく、後鳥羽上皇順徳上皇は、崇徳院の前例からみて怨霊化は必至とみられておった。そこで九条道家は、おふたりが京に戻れるようにと画策したが、3代執権の北条泰時公はこれを許さなかった。

延応元年(1239年)2月20日、後鳥羽上皇隠岐崩御、「顕徳院」と諡号が贈られた。ここでは後鳥羽上皇後鳥羽院と書いてきたけど、はじめは顕徳上皇顕徳院だったんじゃな。そして3年後には、順徳上皇が父・後鳥羽上皇の後を追うように崩御する。順徳天皇は、京都に戻ることができないのであれば、これ以上は「存生無益」と、断食して餓死したとか、頭に焼き石を置いて自害したとも伝えられている。

 

仁治3年(1242)6月15日、北条泰時公が亡くなる。死因は日頃の過労に加えて赤痢を発症したらしい。このとき世間では、これを後鳥羽院の祟りと噂した。泰時公は承久の乱で京の軍勢を蹴散らした総大将じゃからな。

「執権殿の最期は高熱で苦しんで、かなり酷かったんだって」
「まるで「平家物語」の平清盛のような最期だったらしいぞ」
「そういえば、北条義時北条政子大江広元も、みんな6〜7月にかけて死んでいるよね」
顕徳院さん(後鳥羽上皇)が島流しになったのも、この季節だったっけ……」
「祟りじゃ〜 これはまちがいなく怨霊の祟りじゃ〜」

その後、院への合力を拒否した三浦義村と、泰時公とともに京に攻め上った北条時房があいついで没する。しかも3年後には、なんと四条天皇が13歳で崩御するのじゃ。四条天皇は女房たちを転ばせようと、御所の廊下に滑石を撒くいたずらをしようとしていたんじゃが、自分が転んでしまい、それが元で亡くなったらしい。なんとも奇怪な、珍妙な最期と言わざるを得まいよ。加えてこの時期、夜空に彗星があらわれたり、鎌倉では大火が発生、全国的な旱魃もあって、凶事が続く。

ここに至って、朝廷と幕府は後鳥羽上皇の怨霊の鎮魂に本格的に乗り出す。まず「顕徳院」という諡号をあらため「後鳥羽院」の追号を贈った。これは「徳」という字が怨霊になりやすいという理由からとられた措置らしい。

そして、後鳥羽院離宮跡に院の御影堂を建立された。これは後鳥羽院の遺勅によるもので後の水無瀬神宮のことじゃな。さらに幕府は鶴岡八幡宮境内に、後鳥羽院、順徳院を合祀する新若宮をつくり、怨霊の鎮魂に躍起となった。

 

じゃが、当の後鳥羽院ご本人は、じつは生前から周囲の者に「崇徳院のように怨霊にはされたくない」と話していたという。

われ没後かならず思うところを行うべし、しかるごときの時、人定めて崇徳院のごとき沙汰を致すか、全く願うところにあらず、止め申すべきなり。

「怨霊にはならず、必ず成仏したい」という意思の表明じゃな。さまざまな凶事は後鳥羽院の怨霊のせいなのか。たぶん、そんなことはないじゃろう。それでも後鳥羽院は残された者たちによって怨霊にされてしまった。皮肉なものよのう……

じゃが、四条天皇崩御をうけて、仁治3年(1242年)1月、後嵯峨天皇が即位し、皇位後鳥羽院の血統にもどっている。皇位継承にあたっては、順徳上皇の系統の忠成王との間で朝廷と幕府の思惑がからみあい、いろいろと駆け引きがあったようじゃが、最終的には北条泰時公の強引な介入により、決定したという。泰時公は乱の首謀者である順徳上皇の系統を拒否したかったようじゃが、いずれにせよ、この点については後鳥羽院も喜んでおられることじゃろう。

ただ、順徳院は心中複雑かもしれんね。

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かくして、後鳥羽院の怨霊騒動はじょじょに沈静化していく。なお、後鳥羽院承久の乱については、こちらも読んでもらえれば幸いじゃ。