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鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

式神さ〜ん、晴明さ〜ん! 京都・晴明神社に参拝してきたぞ

奈良・平安

吹田スタジアム遠征前乗り京都てくてくブログの最後は晴明神社について。何度も京都には行ってるんじゃが、晴明神社を参拝するのは初めてでな。なんか、結界とか張られてるんじゃろかと、警戒しながら行ってきたぞ

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晴明神社は寛弘4年(1007)の創建。安倍晴明さんの死を悼んだ一条天皇の命によるもので、晴明さんの屋敷跡に建てられ、往時はかなり広大だったらしい。

至る所に星型の「晴明桔梗」の紋様が! これ、世界的には「五芒星(pentagram)」と呼ばれていて、洋の東西を問わず神秘、魔術のシンボルとして、歴史上、さまざまに使われてきたらしい。

まあ、このあたりのスピリチュアルな話は、鎌倉武士はほとんど門外漢なんじゃが、この「晴明桔梗」は陰陽道の呪符として使われていたとのこと。せっかくなんでわしも売店で晴明桔梗が入った絵馬を魔除けとして買い求めたところ、巫女さんに「裏には何も書かず、必ず目線が上になるところに飾ってください」との説明を受ける。

わかった、そうしよう。

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境内右手に晴明井。安倍晴明さんが念力で聖水をわかせたとか。じつは、この地は太閤秀吉の時代には千利休聚楽第屋敷があったところ。利休が秀吉の怒りをかって切腹した終焉の地でもある。

ここで戦国の猛者たちを相手に、利休は晴明井の聖水で茶を点て、もてなしたんじゃろうか。まことに一期一会。この水は今でも飲めるそうで、病気平癒のご利益もあるそうじゃ。もっとも、わしはなんか畏れおおくて、飲めなかったがな。

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境内左手には一条戻橋。かつての雰囲気を再現したものらしいが、なんと、そこに式神さん! 式神さんは陰陽師が使役する鬼神で、その命に従う。陰陽師が式札に呪術をかけると、さまざまに変身してあらわれる。晴明さんの母上は妖狐だったという伝説もあり、それで鬼神をも自在に操ったということらしい。とはいえ、晴明さんの奥さんは式神さんを怖がったので、ふだんは一条戻橋に封印されていたらしい。

一条戻橋は晴明神社の南に100mほど、いまも堀川にある。橋を架け替えたときに、欄干の親柱もってきてここに再現したそうじゃ。一条戻橋については、あらためて書くので、ここは話を先へ進ませてもらおう。

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陰陽道は5世紀から6世紀頃、陰陽五行説仏教儒教といっしょに渡来人によってもたらされたのがはじまり。ちょうど蘇我氏厩戸皇子の時代じゃな。くわしくは知らんが、陰陽五行説は天文、暦などの学問の基礎らしく、律令時代には陰陽寮という役所もあったらしい。そこでは天文道、暦道とともに陰陽道という部局もあって、吉凶を占う術として研究されていく。胡散臭い印象があるが、陰陽道は当時、立派な自然科学だったんじゃな。
平安朝になると、天災や疫病がおこるたびに、都の人々は怨霊を恐れるようになる。とくに魑魅魍魎が跋扈する魔都の宮廷社会では、占術や呪術に長けた陰陽師は、なくてはならぬ存在となっていく。政敵を追い落とすために呪詛するとか、宮中は武家より陰湿じゃからな。そんな時代に活躍したのが安倍晴明さん。実力で師匠の賀茂忠行を凌ぐ存在になっていったんじゃよ。

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本殿の前に晴明さん、じつにスピリチュアルではないか。安倍晴明さんは天文と暦、占い、呪術に通じた最強の陰陽師として、朝廷と都を守る使命を担う。じゃが。天文博士になったのは50の頃で、天狗を封じて花山天皇から信頼を得たのは60の頃というから、じつは遅咲きの人生だったようじゃ。だとすると、晴明さんの印象、ずいぶん変わってしまうしw

それはともかく、晴明さんはその後、陰陽師の大家として藤原道長に仕えるようになり、蘆屋道満との式神対決など、さまざまな伝承を残していく。このあたりさ夢枕獏さんの小説でおなじみじゃから割愛する。

ちなみに、意外じゃが鎌倉にも晴明さんに関する伝承や史跡があるんじゃよ。はるばる晴明さんが鎌倉に来たとは思えんのじゃが、全国に晴明さんの伝承はあるらしいから、弘法大師さんみたいなもんで、それだけすごいということなのかもしれんな。

まあ、源頼朝公はそもそも都生まれの高貴なお人じゃし、幕府は源家の血筋が途絶えた後は京都の摂関家や皇族から将軍を迎えていることもあって、鎌倉でも陰陽師はそれなりに活躍しておった。じゃが、北条や安達、畠山、三浦といった田舎侍たちは、「なんのこっちゃ?」と思っていたはず。少なくとも鎌倉新仏教が勃興したあと、得宗専制の時代には、陰陽道はかなり廃れていたけどな。ちょっと長くなってきたので、その話はあらためて。

さいごに、晴明隠者はペット同伴の参拝はことわりらしい。そのくせ、ペット祈願は通販限定で受け付けているそうじゃ。わしと同じ愛犬家は健康祈願にお願いしてはいかがかな? とりあえずわしは、愛犬の雲龍が変なところにウンチをしないように、結界でもはってのらいたいぞwww

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