鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

紅蓮の劫火憫憐の姫〜大阪・太融寺に淀殿の墓所が!

先日、仕事で大阪に行ったんじゃが、空き時間にポケモンGO片手にふらふらしていて立ち寄ったお寺に、なんと茶々さまこと淀のお方さまのお墓があってな。いやいや、こんなところで、びっくりしたよ。

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梅田からすぐの高野山真言宗太融寺嵯峨天皇の勅願により弘法大師が創建し、天皇の皇子・源融が七堂伽藍を建立した浪華の名刹じゃ。大坂の陣の兵火で全焼したものの、元禄年間には復興し、「北野の太融寺」として市民に親しまれてきたと聞いておる。

はじめ淀殿大坂城の北、鴫野弁天島の稲荷神社の一隅に小祠を建てて葬られた(淀姫神社)という。じゃが、明治10年(1871)、鴫野一帯、現在の大阪ビジネスパークあたりが陸軍の練兵場になったことから、豊臣と縁が深い太融寺に改葬されんだそうじゃ。ちなみに石塔は六輪じゃが、もともとは九輪塔で、これは空襲で損傷したものらしい。

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石碑に藤見東陽という人の漢詩があった。

大坂の城樓碧涯を壓す
姉は豊公の寵珠帷を縦にす
春花秋月君に依りて麗し
窈窕嬋妍嗣を抱いて期す
方廣の鑄銘姦智の将
紅蓮の劫火憫憐の姫
今聞く鐘は愴し太融寺
墓石香煙菊を供うるは誰ぞや

方広寺の鐘に姦智を働かせた武将が淀殿を紅蓮の劫火で焼き尽くしてしまった。 今、彼女が聞いている鐘は太融寺の鐘だ。お墓に香を焚き、菊花を備える人は誰か。

小谷、北ノ庄に続いて淀殿にとっては3度目度目の落城。淀殿大坂城山里曲輪で、豊臣秀頼大蔵卿局大野治長らとともに自害している。ただ、淀殿や秀頼が自害したのを見届けた者はいないし、遺体も発見されていない。そのため淀殿の生存説がまことしやかにウワサされ、薩摩や上州に逃げたという話もある。もちろん伝承にすぎぬが、この墓所にお骨がないということは確かじゃろう。それでも太融寺では毎年5月8日、淀殿の命日には献花と奉吟で彼女の御霊を弔っているそうじゃよ。

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淀殿について、いまさらわしがくどくどと書くこともないじゃろう。そういえば、かつてはこんな下世話な記事も書いちゃったっけ。

ドラマや小説などでは、プライドばかり高くてヒステリックな淀殿像が描かれがちじゃが、じっさいのところはわからない。正室の北政所を見下して仲が悪かったという話もあるが、それは後世の作り話で、この2人は協力し合って豊臣家の存続に尽力していたという研究もあるとか。

林羅山の『大坂冬陣記』によると、戦の最中に、淀殿は徳川との内々に、自身が人質として江戸に行くこと、雇い入れた牢人衆を放り出せないので加増することを条件に講和を求めた記録があるらしい。もちろん家康が加増を受け入れるはずはなく、徳川方は大阪城天守閣に向けて大砲をぶちこんだ。城内の婦女たちは混乱の極みとなり、豊臣方は講和を受け入れる。その後、家康が大坂城の堀を埋め立ててしまい、夏の陣で大坂城は落城してしまったのは周知のとおりじゃな。

自ら人質になることを申し出た淀殿。少なくとも豊臣家を滅ぼした高慢ちきな悪女、というステレオタイプなイメージは見直されるべきかもしれんな。「歴史は勝者がつくる」ということで、淀殿もまた、わしと同じように後世に都合のいいように誇張され、創作されたということじゃろう。

真田丸」では竹内結子さんが天真爛漫で小悪魔な淀殿を演じておるが、このあと、運命に翻弄される女性をどう演じていくのか。楽しみに待つことにしよう。

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しかし、こんな都会の歓楽街のど真ん中に淀殿墓所があることにという驚いたよ。まあ、魅惑の女性・淀殿らしいといえるのかもしれんが、境内は都会の喧騒が嘘のように静かじゃったぞ。わしも淀殿のお墓に手を合わせた後、願いごとをひとつ叶えてくださるという一願不動明王さまに、お願い事をしてきたが、はてさてご利益はいかに。