鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

カジノ法案が成立したので、鎌倉武士のギャンブル事情を少々

統合型リゾート(IR)を推進する「カジノ法案」が成立した。もともわしはギャンブルの類はあまり好きではない。競馬競輪はぜんぜんやらんし、パチンコや麻雀も10年以上やってない。宝くじも年末ジャンボくらいで、totoも面倒臭くて買わない。じゃから、カジノ法案については賛成も反対もないし、「強行採決は与党の横暴だ」という意見に与する気もない。民主党だってかつてはカジノを成長戦略として提示しておったんじゃからな。じゃが、ギャンブルが身を滅ぼし、国を滅ぼす元なのは確かじゃ。鎌倉幕府も取締りに手を焼いたもんじゃよ。

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万葉人も平安貴族もギャンブルにはまった?

ギャンブルの起源についてはよく知らないが、もとは天候や豊穣、吉凶に関する呪術師からはじまったと聞いておる。古代エジプト人やギリシア人もさいころギャンブルを楽しんでおったという記録もあるし、新約聖書にも、ローマ人が磔にされたイエス・キリストの服を誰がもらうかを決めるために籤を引いたとあるしな。

わが国では『日本書記』に、天武天皇が「王卿をして博戯を令す」とあるのが賭博の初見。「博戯」というのは大陸から渡ってきた双六のことで、天武天皇の御前で披露され、その後、瞬く間に万葉人に広まったようじゃ。じゃが、天武天皇亡き後わずか数年、持統天皇は早々に双六禁止令を出している。やはり「博戯」は人心を狂わし、社会を混乱させるという理由からじゃろう。ちなみに、この件で共産党清水忠史衆院議員がこれをネタに、「天皇の決めたことを守らないのか。共産党の私が言うのも変ですが」と、自民党を批判したという報道には、ちょっと笑ってしまったけどな。

平安貴族の間でも双六遊びは盛んに行われていた。後白河法皇が、鴨川の洪水と比叡山の坊主と並んで、双六の賽をわが意のままにならないものとして嘆いたという逸話は有名じゃな。

鎌倉時代のギャンブル事情

その後、武家や庶民の間でもギャンブルは盛んに行われるようになり、鎌倉時代には双六に加えて「四一半」というサイコロ博奕が大いに流行した。兼好法師は『徒然草』に博奕に勝つ心得を記している。

雙六の上手といひし人に、その術を問ひ侍りしかば、「勝たんとうつべからず、負けじとうつべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりとも遲く負くべき手につくべし」といふ。 道を知れる教、身を修め、國を保たむ道も、またしかなり。

博奕は勝とうとしてはいけない。負けないように打つべきである。自身の修養も政治もまた同じだと、なかなかのウンチクを書いておる。そして、「負けがこんでやぶれかぶれで全部つぎ込んで最後の勝負に出ようとする相手と勝負してはいけない。ここから相手が連勝するかもしれない。潮時を知る人こそが上手な博奕打とだ」というんじゃな。

「ばくちの、負極まりて、残りなく打ち入れんとせんにあひては打つべからず。立ち返り、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、よきばくちといふなり」と、或者申しき。

じゃが、御家人の中にもこうした心得を知らず、限度をわきまえないで屋敷や所領まで賭けに費やしてしまう出てくる始末。博奕で破産してしまうようでは御恩と奉公も成り立たず、「いざ鎌倉」のときにまったく役に立たない。幕府首脳も頭を悩ませたようで、嘉禄2年(1226)1月26日、執権・北条泰時公は連署の時房さんとともに、御成敗式目の追加法として、あらためて賭博禁止令を出している。

田地領所を以て、双六の賭事として戯れる事、並びに私の出挙利過一倍、及び挙銭利過半倍の事、宣旨の状に任せ一向禁断すべし。違犯の輩有ば、交名を注進すべきの旨仰せ下さる(『吾妻鏡』)

北条氏は質素でまじめな家風じゃったからな(高時除く)。博奕は厳しく取り締まりは、何度も禁止令を出している。バレたときの罪も重く、武士は多少斟酌されるものの、一般庶民の場合は初犯であれば指切り(えんこ)、再犯は島流しとされていた。

 博奕の事侍におきては、斟酌あるべきか。凡下の者に至りては、一二箇度の者は、指切らるるべし。二三箇度に及ぶ者は、伊豆大嶋に遣らるるべき也(御成敗式目追加法、乾元二年・1303)

射幸心は人間の性ということで

その後、室町時代には茶の銘柄を当てっこする闘茶が出てきたし、江戸時代にはカルタ賭博や富くじも流行った。時の為政者はそのたびたび博奕禁止令を出すものの、アングラ社会では侠客や博徒も登場してくる。射やはり射幸心というのは人間の性なんじゃろうな。もっとも将軍・徳川吉宗は、寺社への補助金をカットするかわりに富くじを許可しておる。これは宝くじの端りじゃな。江戸時代も後半になると賭博の取締りもゆるくなったようで、庶民のささやかな娯楽という面もあったようじゃ。そのため、幕末には国定忠治清水次郎長会津の小鉄なんて有名な親分も登場してくるというわけじゃ。

明治政府は賭博を禁止した。岩倉具視なんぞは賭博場で育ったといわれており、ずいぶん勝手なもんじゃが、まあ、自由民権運動博徒がたくさん参加し、政府に反抗したということもその理由の一つといわれておる。

現代の日本でももちろん博奕はご法度じゃが、じっさいには現代日本は世界一のギャンブル大国で市場規模は30兆円にものぼる。 競馬、競輪、競艇といった公営ギャンブルは収益を公共の福祉に役立てるとの目的から国や自治体が胴元になって実施されているし、パチンコにいたってはどうみてもあれはギャンブルなのに「遊戯だ!」といいはってはお目こぼし。いまや23兆円もの巨大産業に成長しておる。そういう意味では、いまさらカジノのひとつやふたつできたって、どうということもないように思うぞ。パチンコ店なんで、そこらじゅうにあるしな。

射幸心は人間の性。それゆえ、ギャンブルを全面的に禁止するというのは不可能。なんぜ、大昔から禁止しても禁止してもなくならないんじゃからな。公営ギャンブルなんて、「どうせなくならないなら、そこで金を集めていいことに使いましょう」ということなんじゃしな。ならば、カジノ法案成立を機に、今後は社会秩序を守るための規制なり環境整備をすすめていく方向に舵をきればよい。ギャンブル依存症暴力団の資金源になるといった社会問題にどう対策を講じていくのか。この議論が前に進んでいくのであれば、カジノ法案成立はむしろよかったといえると思うが、どうじゃろうか。