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鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

謹賀新年、近江神宮に初詣にいってきたぞ

雑感

謹賀新年、新しい年がやってきた。2017年も太守のブログをどうぞご贔屓に。さて、わしは今年は近江国で正月を迎え、初詣は近江神宮へ行ってきた。

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それにしてもすごい人じゃった。鶴岡八幡宮ほどではないが、なんでも元日の近江神宮には7万5000人が初詣に訪れたとか。例年より5000人多かったらしいが、これも「ちはやふる」効果じゃろうか。人気コミックスのアニメ化、映画化のおかげで、昨年は「聖地巡礼」としてたくさんのファンが近江神宮を訪れたと聞いておる。

まあ、わしはあんまりよく知らんのじゃが、じつはかつてわしはこのあたりに生息していたことがあるんじゃよ。この界隈が若者に注目される街になるとは、当時は想像もしておらんかったよ。

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近江神宮の祭神は中大兄皇子こと天智天皇。そう、中臣鎌足と一緒に大化の改新を推し進めた人物じゃ。

近江神宮は1940年(昭和15年)11月7日の創祀。天智天皇が営んだ近江大津宮の由緒に因んでのものじゃ。先の大戦で日本は焦土と化したが、1945年(昭和20年)、12月15日、昭和天皇は日本の戦後復興を祈願して、ここ近江神宮を勅祭社に治定したらしい。おしりもその日は、GHQから「国家神道神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」という神道指令が発令された当日。昭和天皇は、よほどの御決意があったんじゃろうな。終戦直後、内閣を召されて、つぎのようなお言葉を述べられたという。

このたびの敗戦はまことに遺憾の極みであるが、1300年前の天智天皇の御時、唐・新羅の軍と白村江に戦って大敗した歴史がある。天智天皇は直ちに兵を撤せられ、国内諸政の一新を企てられ、文化を振興、国力の充実を図られた。これを模範として、諸政一新、文化経済を盛んにして永い将来に対処したいと強く念願しているから、一同もこの旨を体して大いに発奮努力して欲しい。

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663年(天智天皇2年)、百済救済のために朝鮮半島に派兵した日本は唐・新羅連合軍と戦い大敗した。教科書で習った「白村江の戦い」じゃな。その詳細は割愛するが、敗れた日本は有史以来初めて、外国の脅威に怯えることとなる。

この国難にあたり、天智天皇は北九州沿岸に水城を建設、防人を設置するなど、国土防備につとめる。と同時に、都を飛鳥から大津に遷すと近江令を制定し、日本最古の戸籍・庚午年籍をつくるなど、唐の制度を取り入れ、律令国家建設の基礎づくりに取り組んでいく。「倭国」と蔑まれていたこの国に「日本」という国号を用いるようになったのは天智天皇の御代のことじゃ。

昭和天皇は日本の戦後復興への道を国民とともに歩むにあたり、天智天皇に範を求め、神助を仰ぐべく近江神宮に特使を派遣する。そのおかげか、日本は世界第2位の経済大国へとのしあがり、昭和天皇はそれを見届けて薨去、昭和という時代が終わる。

ふりかえって平成の日本。戦後70年の間に文化経済は大いに盛んとなったが、内憂外患、なんとなく先行き不安できな臭い感じではある。とくに今年は国際情勢が大きく動きそうな気配じゃ。

そんなことをあれこれ考えながら、とりあえず2017年の日本と世界がおだやかに平和であること、そして当ブログにご訪問いただくみなさまのご健勝とご多幸をお祈りしてきた。ということで、今年も一年、気まぐれに更新していこうと思うので、よろしくお付き合いくだされ。

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