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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

人世虚しい応仁の乱

昨年末あたりから、中公新書の『応仁の乱』(呉座勇一著)が売れてるらしい。「なんで今、応仁の乱?」と思わんでもないが、とにかく売れているらしいので、わしも読んでみたのじゃが……かなり厄介な代物じゃったぞ。

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)


そもそも、わしの応仁の乱の予備知識はほぼ中学レベル。

●事の発端は三管領家のひとつ畠山氏の後継者争い
●そこに将軍継嗣問題が絡んで、幕府内の有力者や守護大名が対立
●東軍の大将は細川勝元、西軍は山名宗全
●将軍・足利義政はこの内乱をよそに、ひたすら文化活動に勤しむ
●義政の正室・日野富子は政治に口出しをし、巨万の富を手にする
●戦禍は京都から全国へ拡大、その後、下克上の戦国時代が到来

ざっくり書くと、まあ、こんな程度しかない。

本書は、奈良興福寺の経覚と尋尊の日記をもとに、応仁の乱へと迫っていく。同時代の人々がこの大乱をどう受け止めていたのかを浮かび上がらせようという趣旨らしい。はじめは新書だから読みやすいだろう。そう思ってお気楽に手にしてみたけれど、これが大間違い。文章そのものは読みやすいんじゃが、とにかく出てくる人物・事象がぐっちゃぐちゃにからまりあって、つむりの悪いわしなど、読み進めるのにかなり苦労した。ただ、このぐっちゃぐちゃが応仁の乱の本質なんじゃろうと、妙に納得したけどな。

そもそも室町幕府というのはその成り立ちからして政権基盤は不安定じゃった。足利将軍の力は3代義満の時代をのぞけば脆弱で、守護大名の連合政権的な性格が強かった。おまけに足利家の分家として関東を差配する鎌倉公方もしばしば不穏な動きをみせ、将軍を悩ませる。6代将軍・足利義教は幕府権威の回復と将軍親政をめざして恐怖政治を敷くが、けっきょく播磨の守護大名・赤松満祐に暗殺されてしまう(嘉吉の変)。以後、室町幕府は宿老や守護大名たちのさまざまな思惑もあいまって、幕政はいよいよ混迷していく。

応仁の乱の経緯についての詳細は省く。というか、複雑怪奇でとてもじゃないが書けない。ただ、この大乱は、畠山氏のお家騒動に将軍・足利義政が無定見であったとか、将軍後継に日野富子が余計な口出しをしたとかいうのはじつは瑣末なことで、室町幕府の政治体制そのものが引き起こしたというべきじゃろう。

11年もの長きにわたって続いた応仁の乱は、細川勝元山名宗全が没すると、けっきょく、うやむやのうちに終結する。最終的に誰が勝ったのか、得をしたのかもよくわからないまま、ただただ、みんなが疲弊しただけという、まさに「人世虚しい応仁の乱」というわけじゃよ。

なんだか読んでいるうちに、こっちも疲れてしまったよ。