鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

覇府の最後のリーダーといえば、江戸幕府は徳川慶喜、室町は足利義昭、鎌倉は北条高時!

一年に一度やってくる「鎌倉の一番長い日」。今日、5月22日は新田義貞の鎌倉攻めにより、北条一族が自刃、鎌倉幕府が滅亡した日。正慶2年、西暦でいうと1333年のことじゃよ。

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この日の本には歴史上、鎌倉、室町、江戸という3つの幕府が存在した。そのうち、幕府が滅びたとき、幕府に殉じたのは、わが北条だけじゃ。

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜は鳥羽伏見で薩長に敗れるや、兵を置き去りにして江戸に逃げ帰り謹慎。その後は明治大正とカメラ、囲碁、投網など趣味三昧の生活で、76歳までの天寿を全うしている。

室町幕府最後の将軍・足利義昭も長生きじゃ。織田信長に追放されると毛利を頼る。信長の死後は京都にもどり、豊臣秀吉のお話し相手として余生を全うし、61歳まで生きている。

もちろんわしは将軍ではない。じゃが北条は天下の執権、しかも得宗のわしは、幕府内の実力からすれば慶喜や義昭と同じじゃ。にもかかわらず、わしだけ一族とともに炎の中で腹掻っ捌いて死んでいるんじゃからな。ちなみにわしはこのとき享年31。年齢換算すれば、慶喜は第2次長州征伐で将軍就任前、義昭は就任直後。さあ、さあ、これってどうじゃ?

その最期がもっとも武士らしいのはだれじゃ? わしは田楽も闘犬も楽しんだが、それは執権を退いてからのことぞ。わしも運が良ければ足利義政のように文化人として名を残すことができたかもしれんじゃないか。まあ、得宗の者として、鎌倉幕府をつぶしてしまったことは確かじゃから、偉そうなことを言える立場ではないが、さりとて徳川、足利の将軍は15代、鎌倉北条の執権も16代が最後(わしは15代)。おおむね覇府の耐用年数はそのくらいということなのではないか? それはまあ、よい。問題は鎌倉幕府が滅んでから後、世の中はよくなったかということじゃよ。

徳川幕府の後の明治政府は、いろいろな意見はあろうが、アジア初の近代国家としての歩みを始めた。足利幕府の後の織豊政権は戦国の世を終焉させ、徳川の太平の世のつなぎ役を果たした。それに対して鎌倉幕府滅亡後の世の中はどうじゃ? 日の本にふたりのミカドが立って相争うという異常事態に、世が大いに乱れたことは周知のこと。今さら説明することもないじゃろう。そんなんじゃったら、鎌倉幕府のままでよかったんじゃね? 南北朝合一後も、室町幕府はいざこざが絶えない印象が強いんじゃが……ちがう?

すまぬ。年に一度の戯言じゃ。なお、鎌倉宝戒寺では本日、北条一族の供養のために、大般若転読会がとりおこなわれた。わしも徳宗大権現の祠から1年ぶりのお出ましということで。