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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

津軽為信は英雄か、梟雄か~それを確かめに弘前まで行ってきた件

みちのくひとり旅、浪岡城跡を訪問した翌日は弘前城へ。ご存じ、津軽氏4万7千石の居城じゃ。ちょうど「弘前さくらまつり」の期間中だったんじゃが、今年は桜の開花が例年より早かったそうで、わしが訪れたときにはすっかり葉桜になってしまっておった。とほほ……

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それはともかく、弘前城弘前藩祖・為信が築城に着手し、慶長16年(1611)、 2代信枚のときに完成した。堀、石垣、土塁等の城郭はほぼ当時の原形をとどめており、城内には、天守、櫓3棟、城門5棟が残され、いずれも重要文化財に指定されてる。

天運時至り、武将其の器に中らせ給う

津軽氏はもともと大浦氏を称していた。大浦氏の出自については諸説あるが、弘前藩の正史「津軽一統志」では、南部氏の庶家・久慈氏の一族・光信を祖とし、津軽の地に土着したとしている。光信から数えて4代目の大浦為則には子どもがいなかった。そこで為信が婿養子として大浦氏を継ぐ。為信は大浦守信(為則の弟)の子とされているが、久慈氏の出という説もあり、これも正確なことはわからない。じゃが、いずれにせよ津軽一統志』は為信の事績を詳説し、「天運時至り、武将其の器に中らせ給う」と、その傑物ぶりを讃えている。

元亀2年(1571)、為信は南部当主・晴政の叔父・石川高信を攻めて自害に追い込んだ。この頃、南部氏は当主・晴政と娘婿で石川高信の子・信直が対立しており、この変事は晴政が為信をけしかけたのではないか、という話もあるそうじゃ。事の真偽はともかく、この頃の南部氏はごたごたしておって、為信はこれ幸いと浪岡御所、さらには大光寺城を攻め、津軽の統一に向けて、地歩を固めていったというわけじゃ。

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秀吉に接近し、まんまと南部からの独立に成功する

紆余曲折ありながらも南部宗家を信直が継ぐと、為信は南部から独立する意思をいよいよ明確に打ち出す。すでに信直は前田利家を通じて秀吉に接近し、陸奥における所領安堵を認められていた。そして信直は秀吉に津軽地域を為信が横領したと訴え、惣無事令違反として為信は討伐の対象になってしまう。

そうした中、為信は石田三成を介して秀吉に接近する。ここで三成を選ぶあたり、さすがに為信じゃ。しかもこの頃、為信は秀吉はもちろん、秀次、織田信雄が鷹狩りにご執心であることを聞きつけると、津軽特産の鷹を献上するなど、如才なく立ち回る。さらには近衛前久に近づき、「じつは大浦政信は近衛尚通落胤だった」という伝承をつくりだして、財政援助を買って出ており、秀吉政権の中枢に着実に近づいていく。

根回しが奏功したんじゃろうか、小田原征伐に参陣した為信は、秀吉から独立大名として認められ、津軽の所領を安堵される。信直はさぞや悔しかったじゃろうが、政治力は為信のほうが一枚上手だったということじゃな。

じつは津軽為信は、とても義理堅い男だった

もっとも為信の所領安堵は石田三成のとりなしが大きかったのじゃろう。為信もまた三成への感謝の思いは強かったようじゃ。関ケ原の折、為信は他の奥州の諸将と同様、徳川に味方している。じゃが、大坂城で嫡男の信建とともに秀吉の小姓として仕えていた三成の次男・重成を津軽に匿い、高台院の幼女になっていた三成の娘・辰姫を息子・信枚の正室に迎えている。

さらに、これは明治になってわかったことじゃが、弘前城には不思議な社があった。この社の厨子は一度も開かれることなく明治を迎えたが、「開かずの宮」が開けられると、なんと豊臣秀吉の木像が出てきたんじゃ。狡猾な梟雄のイメージが強い為信じゃが、じつは義理堅い男だった。ここのところは、もっと世に知られてもよいとわしは思うがな。

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慶長12年(1607)、為信は病に倒れた嫡男・信建を見舞いに京へ向かっている。残念ながら信健は回復することなく死去、その2ヶ月後、為信も没した。すでに為信自身も病におかされていた中での上京だったという。享年58。家族思いの男でもあったということか。

津軽にとっては英雄、南部にとっては謀反人。為信の行動は、現代もなお津軽と南部のライバル心をもたらしているが、これもまた為信の望むところではなかったか。「 三日月の丸くなるまで南部領」といわれるほど広大な土地を一時は支配した南部氏じゃが、それゆえ統制は行き届かず、津軽はいわば植民地のようなもの。為信の台頭は津軽の民が背中を押したということなんじゃろう。

なお、為信の跡は弟の信枚が継ぐことになったが、その後、信枚派と信建の遺児熊千代を擁立する派の間でお家騒動が起こっている(津軽騒動)。