昭和20年4月7日、九州坊ノ岬沖で大和が沈没。伊藤整一海軍大将、有賀幸作艦長以下、乗員4000人の命が散華した。大和ミュージアム訪問記の備忘録として、今日は戦艦大和の最後についてじゃよ。
呉市にある「大和ミュージアム」にいってきたので、今日は戦艦大和についてじゃよ。 大和ミュージアム 大和は世界3大バカ? 無用の長物? 床の間の置物? 量の不足を卓越せる質で補うより道なし しかし、大和はさいごまで本領を発揮できず 快適だったらしい…
鳥栖に遠征の途中、近くに九州南北朝関係の史跡・大保原(大原)合戦場の跡があることを知り、急遽立ち寄ってみた。場所は西鉄小郡駅の下車、市役所のすぐ隣じゃ。 大保原古戦場跡(福岡県小郡市)
太宰府といえば天満宮、菅原道真さん、そして飛梅伝説。ということで、道真さんのことと旅日記じゃよ。
「遠の朝廷(みかど)」こと大宰府政庁趾を訪問したので、備忘録がわりに書き散らすぞ。
博多湾の元寇防塁。蒙古襲来に備えて鎌倉幕府がつくった石築地(いしついじ)をみてきた。ちなみに、「元寇」という言葉は水戸光圀の時代から使われはじめたものなので、最近の教科書では「蒙古襲来」という言葉に置き換えられているらしい。これ豆な。
本日5月11日は新選組の鬼の副長・土方歳三の命日じゃ。明治2年5月11日(1869年6月20日)、箱館戦争でにおいて、土方歳三は弁天台場で孤立した新選組を救うために出撃し、一本木関門で戦死した。 高幡不動でお会いした土方歳三さん
先日、肥前名護屋城跡を訪れたのをきっかけに文禄・慶長の役について書いたけれど、それと関連して今回は「沙也可」という人物について書かせてもらおう。 沙也可
鳥栖遠征の往路、以前から訪れてみたかった肥前名護屋城跡に行ってきた。博多からJRとバスを乗り継いで往復4時間以上もかかったが、歴ヲタなら一度は訪れておきたいスポットじゃよな。 名護屋城跡
令和元年の初詣は、材木座の由井若宮へ。平安時代、河内源氏の源頼義公がが前九年の役で東北に赴くにあたり、石清水八幡宮を勧請した。これを源頼朝公が北山へ移したのが現在の鶴岡八幡宮じゃ。元八幡と呼ばれる所以じゃな。なお、このあたりには芥川龍之介…
令和元年5月1日、いやいやめでたい。「平成」から「令和」へ、今回の改元は祝賀ムード一色じゃな。ちなみに、こちらは先日、太宰府天満宮に立ち寄った時の写真じゃが、街はすっかり盛り上がっておったぞ。
町田にある東京都指定の旧跡・井出の沢古戦場に行ってきた。中先代の乱で、北条時行軍と足利直義軍との間で、激しい合戦が繰り広げられたと伝えらるところじゃよ。