北条高時、闘犬乱舞。

うつつなき太守による歴ヲタの備忘録です

安達藤九郎盛長のこと~流人時代から源頼朝に仕えた側近

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の7人目は安達盛長のこと。盛長は源頼朝公の伊豆流人時代からの側近で、鎌倉幕府を代々支え続けた安達氏の祖じゃ。 安達藤九郎盛長坐像(放光寺所蔵)

足立遠元のこと~源頼朝にいち早く仕えた武蔵武士

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の6人目は足立遠元のこと。遠元は鎌倉幕府公文所の寄人をつとめた有力御家人の一人じゃよ。

二階堂行政のこと~永福寺を造営した政所執事

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の5人目は二階堂行政のこと。行政は代々幕府政所執事をつとめた二階堂氏の祖じゃ。 鎌倉殿の13人

梶原景時のこと~頼朝の股肱の臣なのに、なぜそんなに嫌われたのか

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく4人目は梶原景時。源頼朝公の命の恩人ともいうべき側近中の側近じゃが、義経殿の悪口を讒言してたなどといわれ、何かと評判がよろしくない。ちなみに、大河では中村獅童さんが演じる…

三善康信のこと~鎌倉幕府の初代問注所執事

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく3人目は鎌倉幕府初代問注所執事・三善康信じゃ。大河で康信を演じるのは小林隆さん。三谷幸喜作品ではおなじみの役者さんじゃな。

中原親能のこと~公家出身の鎌倉幕府宿老

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく2人目は中原親能じゃ。現時点では、大河で親能を演じる役者は発表されていないが、大江広元の義兄で鎌倉開府の重要人物のひとりじゃから、誰が演じるのかは注目じゃな。

大江広元のこと~鎌倉幕府に転職して才を発揮した実務官僚

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のためのに、13人を順番にまとめていく2人目は大江広元じゃ。やはり三谷大河の「真田丸」で真田信尹を好演した、劇団四季の栗原英雄さんが広元を演じることになっておるぞ。 大江広元

牧氏事件で北条時政公が失脚~義時公はなぜ、父を追放したのか

得宗の祖・義時公が父・時政公を追放した「牧氏事件」。時政公失脚の原因をみていくと、そこには前妻の子であった政子殿や義時公と、後妻の牧の方の軋轢が見え隠れする。 北条義時

姫の前と伊賀の方~北条義時公の二人の妻

伊豆の国市は江間にある北條寺には、2代執権北条義時公と伊賀の方夫妻のお墓がある。北條寺は義時公による創建じゃ。今回は、義時公の2人の妻について書いてみたい。 伊豆の国市江間にある北條寺

源頼朝公の死因は落馬?怨霊?糖尿病?それとも暗殺?

源頼朝公は相模川に橋供養に出向いた帰路、落馬がもとで体調を崩し、亡くなった。ただ、その死については、さまざまな憶測があり、暗殺説すらある。はたして頼朝公の死因は何であったのか。

仁田忠常のこと~猪退治と人穴探検で、霊峰富士の天罰 がくだった?

仁田(新田)忠常について。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、お笑いコンビ「ティモンディ」の高岸宏行さんが演じるということで注目を集めている。 仁田忠常

北条時政公のこと~強引な権力奪取でのし上がった初代執権

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送開始前に予習をしようと思い立ち、本日は北条義時公についてまとめておこうと思う。源頼朝公室・政子殿や初代得宗義時公の御父上であり、北条執権政治の嚆矢である時政公。大河では坂東彌十郎さんが演じることになってお…

北条与党は鎌倉幕府滅亡後、かく戦えり

元弘3年(1333)、北条高時以下一族門葉は、新田義貞に攻め込まれ、東勝寺の炎の中で自刃し、鎌倉幕府は滅亡した。ただ、その後も北条与党はさまざまな思惑をもって各地で蠢動する。今回はそのあたりを少々。

鎌倉陥落、北条高時の遺児はどうなったのか?~五大院宗繁に裏切られた邦時と信濃に逃れた時行

わし北条高時の遺児・邦時こと万寿丸と、時行こと亀寿丸について。鎌倉幕府が滅亡したのは元弘3/正慶2年(1333)5月22日のこと。その直前、新田義貞が鎌倉に攻め入る前に、わしは二人の息子を逃そうとしたんじゃ。

中先代の乱〜北条時行と諏訪頼重は、なぜ鎌倉を目指したのか

中先代の乱のきっかけ、戦いの経緯、結果までを解説。「逃げ上手の若君」で人気の北条時行、諏訪頼重について紹介するぞ。

小笠原貞宗~信濃守護、弓の名手として知られる小笠原礼法中興の祖

信濃守護の小笠原貞宗。松井優征さんの「逃げ上手の若君 」に北条時行の敵方として登場し、注目を集めているようなので、少し紹介しておこう。ちなみに、「逃げ上手の若君」では、こんな感じで登場するぞ。 小笠原貞宗(松井優征「逃げ上手の若君」第1巻 集…

宮騒動の顛末を「吾妻鏡」から拾ってみた

「宮騒動」について、「吾妻鏡」に記録が残っていたので、今回はそれを備忘録として書いておきたい。

摂家将軍・九条(藤原)頼経について~哀しむべし、哀しむべし

九条(藤原)頼経について書いておきたい。源実朝公のあと、頼朝公の遠縁として九条家から迎えられた「摂家将軍」のことじゃよ。 九条(藤原)頼経

源希義と希望〜頼朝公の同母弟と土佐七雄・吉良氏のこと

今回は、土佐冠者こと源希義殿について。源義朝殿の五男で頼朝公の同母弟とされているが、これまたあまり知られていないようなので、紹介させてもらおう。 西養寺跡無縫塔 伝源希義墓塔(Wikipedia)

源朝長~知られざる頼朝公の兄君のこと

源頼朝公の兄弟と言えば、九郎義経殿や悪源太義平殿が有名じゃが、もちろんご兄弟がおられたわけで、そのお一人が源朝長殿じゃ。今日は朝長についてじゃよ。 朝長(『能楽図絵』Wikipedia)

悪源太・源義平~剛勇な頼朝公の兄君のこと

源頼朝公の兄弟と言えば、鎌倉悪源太義平を忘れるわけにはいかん。悪源太、その名の通りの剛勇な河内源氏のもののふじゃ。 悪源太(『新形三十六怪撰』より。月岡芳年画)Wikipediaより

平治の乱~信西、藤原信頼、源義朝、平清盛らは何を考え、どう行動したのか

さて、今回は平治の乱についての備忘録じゃよ。源氏が没落し、平家が興隆するきっかけとなった事件じゃが、そのキーマンである信西、藤原信頼、源義朝、平清盛らが何を考え、どう行動したのかをまとめておくことにする。 『平治物語絵巻』三条殿焼討

保元の乱はなぜ起こったのか~天皇家、摂関家、源氏も平氏も分裂して大騒動

京都の高松神明神社に行ったついでに、今日は保元の乱についての備忘録。皇位継承や摂関家の跡目争いに武士がからんできておきたこの事件。「王家の犬」と蔑まれていた武家が、その実力を見せつけた画期となった事件じゃよ。 保元・平治の乱合戦図屏風絵

孝明天皇と崇徳天皇と幕末維新

さて、ここのところ怨霊の話ばかり書いているせいか、なんとなく体調がすぐれないので、今日で一区切りしたいと思う。で、今日は孝明天皇についてじゃよ。

後醍醐天皇の怨霊~玉骨はたとえ南山の苔に埋もるとも

さて、崇徳院、後鳥羽院につづいて怨霊になったであろう人物といえば、あの御方じゃな。そう、後醍醐天皇じゃよ。

後鳥羽上皇は怨霊になったのか?…人定めて崇徳院のごとき沙汰を致すか、全く願うところにあらず

きょうも怨霊の話の続き。承久の変でワシら北条が隠岐にお流しした後鳥羽院についてじゃ。後鳥羽院も崇徳院と同様、隠岐へ配流直後から怨霊として祟りをなすと思われておったのじゃが…… 後鳥羽上皇

怨霊となった崇徳院を西行法師がお諌めした件…よしや君 昔の玉の床とても かからんのちは 何にかはせん

崇徳院について、もうちょっと書いておきたいことがあったので、今日は昨日の続きを。というのも、わし、じつは5年前に四国遍路をした際に、香川県坂出市にある崇徳院の白峰御陵に立ち寄っておるんじゃよ。

崇徳天皇(上皇)は、なぜ怨霊になってしまわれたのか

菅原道真、平将門と並ぶ日本3大怨霊といわれており、その中でも最強とされている崇徳天皇(上皇)。その崇徳天皇を祀る御廟が、祇園のど真ん中、東山通から一筋西側の万寿小路に面した、ちょうど祇園歌舞錬場の裏側あたりにひっそりと建っている。さながらそ…

六道の辻(六道珍皇寺)と閻魔大王の側近・小野篁…ねこのここねこ、ししのここじし

京都・六波羅ぶらぶら備忘録。本日は「六道さん」じゃ。六道珍皇寺があるこのあたりは、かつての平安京の葬送地であった鳥辺野の入口にあたる。そこで京都では、この地を「六道の辻」と呼び、現世と他界の境、冥界への入口とされているんだそうじゃ。

此付近平氏六波羅第跡 六波羅探題府

先週、所用で京都にいってきたのじゃが、ついでなので六波羅に寄ってきた。