元弘3年(1333)、北条高時以下一族門葉は、新田義貞に攻め込まれ、東勝寺の炎の中で自刃し、鎌倉幕府は滅亡した。ただ、その後も北条与党はさまざまな思惑をもって各地で蠢動する。今回はそのあたりを少々。
わし北条高時の遺児・邦時こと万寿丸と、時行こと亀寿丸について。鎌倉幕府が滅亡したのは元弘3/正慶2年(1333)5月22日のこと。その直前、新田義貞が鎌倉に攻め入る前に、わしは二人の息子を逃そうとしたんじゃ。
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