北条高時.com

うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

奈良・平安

花山院闘乱事件(長徳の変)〜些細な女性問題から藤原道長と藤原伊周・隆家の権力闘争へ

長徳2年(996)1月16日、藤原伊周、隆家兄弟が花山法皇に矢を射かける事件が起きた。花山院闘乱事件じゃ。これにより中関白家の伊周と隆家は失脚したのじゃが(長徳の変)、今回はこの事件について詳しくみていこう。 花山天皇

藤原隆家、天下のさがな者〜刀伊の入寇を撃退した武闘派貴族

今回は天下のさがなもの・藤原隆家についてじゃ。あの藤原道長も一目置いた中関白家の荒くれ者で、刀伊の入寇を撃退したことでも有名じゃ。大河ドラマ「光る君へ」では、竜星涼さんが演じるとのことで話題じゃな。 藤原隆家

源希義と希望〜頼朝公の同母弟と土佐七雄・吉良氏のこと

今回は、土佐冠者こと源希義殿について。源義朝殿の五男で頼朝公の同母弟とされているが、これまたあまり知られていないようなので、紹介させてもらおう。 西養寺跡無縫塔 伝源希義墓塔(Wikipedia)

源朝長~知られざる頼朝公の兄君のこと

源頼朝公の兄弟と言えば、九郎義経殿や悪源太義平殿が有名じゃが、もちろんご兄弟がおられたわけで、そのお一人が源朝長殿じゃ。今日は朝長についてじゃよ。 朝長(『能楽図絵』Wikipedia)

悪源太・源義平~剛勇な頼朝公の兄君のこと

源頼朝公の兄弟と言えば、鎌倉悪源太義平を忘れるわけにはいかん。悪源太、その名の通りの剛勇な河内源氏のもののふじゃ。 悪源太(『新形三十六怪撰』より。月岡芳年画)Wikipediaより

平治の乱~信西、藤原信頼、源義朝、平清盛らは何を考え、どう行動したのか

さて、今回は平治の乱についての備忘録じゃよ。源氏が没落し、平家が興隆するきっかけとなった事件じゃが、そのキーマンである信西、藤原信頼、源義朝、平清盛らが何を考え、どう行動したのかをまとめておくことにする。 『平治物語絵巻』三条殿焼討

保元の乱はなぜ起こったのか~天皇家、摂関家、源氏も平氏も分裂して大騒動

京都の高松神明神社に行ったついでに、今日は保元の乱についての備忘録。皇位継承や摂関家の跡目争いに武士がからんできておきたこの事件。「王家の犬」と蔑まれていた武家が、その実力を見せつけた画期となった事件じゃよ。 保元・平治の乱合戦図屏風絵

怨霊となった崇徳院を西行法師がお諌めした件…よしや君 昔の玉の床とても かからんのちは 何にかはせん

崇徳院について、もうちょっと書いておきたいことがあったので、今日は昨日の続きを。というのも、わし、じつは5年前に四国遍路をした際に、香川県坂出市にある崇徳院の白峰御陵に立ち寄っておるんじゃよ。 崇徳院御陵

崇徳天皇(上皇)は、なぜ怨霊になってしまわれたのか

菅原道真、平将門と並ぶ日本3大怨霊といわれており、その中でも最強とされている崇徳天皇(上皇)。その崇徳天皇を祀る御廟が、祇園のど真ん中、東山通から一筋西側の万寿小路に面した、ちょうど祇園歌舞錬場の裏側あたりにひっそりと建っている。さながらそ…

六道の辻(六道珍皇寺)と閻魔大王の側近・小野篁…ねこのここねこ、ししのここじし

京都・六波羅ぶらぶら備忘録。本日は「六道さん」じゃ。六道珍皇寺があるこのあたりは、かつての平安京の葬送地であった鳥辺野の入口にあたる。そこで京都では、この地を「六道の辻」と呼び、現世と他界の境、冥界への入口とされているんだそうじゃ。

さだまさし「飛梅」を聴きながら、太宰府天満宮に参拝してきた。

太宰府といえば天満宮、菅原道真さん、そして飛梅伝説。ということで、道真さんのことと旅日記じゃよ。

遠の朝廷(みかど)・大宰府政庁趾に行ってきたよ

「遠の朝廷(みかど)」こと大宰府政庁趾を訪問したので、備忘録がわりに書き散らすぞ。

伊治呰麻呂の乱と蝦夷三十八年戦争のこと

多賀城跡を訪れたとき、いっしゅん伊治呰麻呂ゆかりの地にも行こうかと思ったが、さすがに断念。帰宅後、GoogleMapで行った気になって、備忘としてまとめておく。 伊治城跡(Google Map)

多賀城跡、蝦夷征討の拠点を歩いてきたぞ

ユアスタ遠征の前に多賀城跡に立ち寄ってきたぞ。仙台といえばふつうは伊達政宗じゃが、青葉城も瑞鳳殿も何度か行ってるし、今回は斜め上を行こうかと。といっても、多賀城は古の東北地方の政治・軍事の中心である。歴ヲタならば一度は訪れておきたいスポッ…

最北の古代城柵・秋田城跡に行ってきたぞ

みちのくひとり旅、つづいての備忘録は秋田城について。秋田駅からバスで30分ほど。秋田城は、奈良時代から平安次代にかけて出羽国秋田にあった最北の古代城柵じゃ。わしらが鎌倉から来たというと、資料館の人がそれはそれは丁寧にいろいろと説明をしてくれ…

一条戻橋…いづくにも 帰るさまのみ 渡ればや 戻り橋とは 人のいふらん

京都・一条戻橋。古来から「あの世」と「この世」をつなぐ橋といわれておる。晴明神社にはレプリカがあり、かつての様子を偲ぶことができるが、せっかくなので現地にも立ち寄ってみることにした。ちなみに、この写真にある「一條」「戻橋」と彫られた親柱は…

式神さ〜ん、晴明さ〜ん! 京都・晴明神社に参拝してきたぞ

吹田スタジアム遠征前乗り京都てくてくブログの最後は晴明神社について。何度も京都には行ってるんじゃが、晴明神社を参拝するのは初めてでな。なんか、結界とか張られてるんじゃろかと、警戒しながら行ってきたぞ

京都・高松神明神社に参拝〜源高明・明子を偲ぶ

吹田スタジアム遠征のときにホテルの近くに高松神明神社があったので参拝してきた。この姉小路釜座御池あたりはかつて源高明の広大な邸宅「高松殿」があったところ。高松神明神社は邸内に天照大神をお迎えしてつくった鎮守の社がそのはじまりとするらしい。

京都は白峯神宮に参拝〜蹴鞠の聖地で勝手に選んだ歴史人物サッカー日本代表

吹田サッカースタジアムに出張る前に、京都にあるサッカー・球技の神様として知られる白峯神宮にお参りしてきた。ここは蹴鞠の飛鳥井家邸宅跡だから、ということからそうなったらしく、サッカー日本代表はじめさまざまなアスリートがボールやらなんやらを願…

平維盛さんのこと…無能なイケメンというなかれ。

今日は平家の若大将 平維盛さんのこと。平維盛さんといえば、富士川の合戦、倶利伽羅峠の合戦という源平2大決戦に敗れ、平家滅亡の戦犯として扱われがちな人物。それだけに、鎌倉幕府を滅ぼしてしまったワシとしては、シンパシーを感じるんじゃよ。ほんとは…

木曾義仲の火牛の計、倶利伽羅峠に行ってきた

この夏、一度はいってみたいとかねてから思っていた越中・加賀国の国境・砺波山の倶利伽羅峠に立ち寄ってみた。平維盛が本陣をはったといわれる場所には源平の慰霊碑があり、角に松明をつけた牛さんが2頭いた。なんか、笑ってしまったわw

東風吹かばにほいおこせよ梅の花……鎌倉・荏柄天神社

そろそろ梅の季節……ということで、鎌倉の梅の名所のひとつといわれる荏柄天神社へ出かけてきた。荏柄天神社は大宰府天満宮、北野天満宮とならんで三天神社とよばれている。祭神はもちろん菅原道真じゃ。