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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

えっ? あの源頼朝公の肖像画って、ほんとうは足利直義なんですか?

足利高氏という男は、よくわからん男じゃ。感情の振れ幅が大きく、どことなく優柔不断で。それを支えたのが弟の足利直義、ということなんじゃが……

はじめ直義は、北条高時から「高」の字をもらって、高国と名乗っていたはず。おそらく鎌倉幕府が滅んで、高氏が尊氏になったころに改名したんじゃろう。

それはともかく、直義は一本気で決断力のある男だったようじゃ。高氏を西国に出陣させるとき、ワシは妻子を鎌倉に人質として残して起請文を出すように命じたんじゃが、心揺れ動く高氏を支えたのは、この直義だったらしい。

「今此一大事を思食立事、全く御身の為に非ず、只天に代て無道を誅し、君は御為に不義を退んと也。其上誓言は神も不受とこそ申習はして候へ。設ひ偽て起請の詞被載候共、仏神などか忠烈の志を守らせ給はで候べき。就中御子息と御台とは、鎌倉に留置進せられん事、大儀の前の少事にて候へば、強に御心を可被煩に非ず。公達未だ御幼稚に候へば、自然の事もあらん時は、其為に少々被残置郎従共、何方へも抱拘へて隠し奉り候なん。御台の御事は、又赤橋殿とても御坐候はん程は、何の御痛敷事か候べき。「大行は不顧細謹」とこそ申候へ。此等程の少事に可有猶予あらず。兎も角も相模入道の申さん侭に随て其不審を令散、御上洛候て後、大儀の御計略を可被回とこそ存候へ。」(『太平記』)

直義という男は、誠実で公平、官僚肌で実務に強く、高氏が幕府を開いてからは、政治を任され大いに働いたという。でも、あまりに一本気で融通がきかなかい男だったから、足利家執事の高師直と対立して高氏と争うことになり(観応の擾乱)、けっきょくは毒殺されてしまう。

なんとも損な役回り……

そういえば……むかし教科書に載っていたで源頼朝公の有名な肖像画のことじゃが……

これ、近年の研究によると、頼朝公じゃなくて直義だという説があるんだとか。
ちなみに、平重盛の肖像画とされてきたものは、じつは足利尊氏だという説も。
論争は今なお続いているらしくて決着には辿り着いていないようだけど、そういうことがあっても、まあ、おかしくはないかな。

個人的には、これは頼朝公であってほしいけどね。