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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒…上杉謙信の居城・春日山城へ行ってた

歴史好きなら一度は訪れておきたいスポットであることはまちがいなし。この夏、かねてから念願だった春日山城 址にいってきた。本来は大手道から歩いていくべきところじゃが、今回は時間が限られていたこともあり、中腹の春日山神社横の駐車場までクルマでいき、そこから30分、徒歩で頂上をめざした。

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春日山城について

「毘」の幟をみると、なんだか血が騒ぐね。上杉謙信公の直々にお出迎えには、たいへん恐縮いたしました。とりあえず謙信公を祀る春日山神社に手を合わせ、さあ、登城じゃ。

春日山城南北朝時代に越後守護・上杉氏が越後府中(直江津)の館の詰め城として築城したのがはじまり。永正4年(1507)には、守護代長尾為景が上杉定実を擁立して、守護・上杉房能を追放。新守護として定実が府中に入ると、長尾氏が春日山城主となったとのこと。以後、長尾為景、長尾晴景、上杉景虎(謙信)、上杉景勝という四代の居城と なる。ちなみに、総延長1200メートルにわたる総構えを山麓に構えるという大要塞となったのは、謙信、景勝の時代らしい。

あ、犬は無視しておくれw

さすがは天下の名城。急峻な山を登っていく途中には、空堀や土塁の遺構がたくさん。山中には家臣たちの屋敷跡も残っている。

ちなみに、こちらは直江山城守兼続の屋敷。大河ドラマ天地人」でおなじみ、あの直江状の兼続じゃ。「天地人」といえば、幼少の兼続・与六を演じた加藤清史郎くんが、阿部寛さん演じる謙信公との対面の場面で、「わしはこんなとこきとうなかった!」という台詞が印象的じゃったな。

ちなみに、与六の「わしはこんなとこきとうなかった!」ストラップが、駐車場の茶屋で販売していたので、思わず購入w

毘沙門堂上杉謙信毘沙門天を尊崇していたことは有名な話。毘沙門天多聞天)は、仏法で世界の中心にあるとされる須弥山の北方を守護する神。財宝・子宝・戦勝の加護があるとされた。謙信は、出陣に際してこの毘沙門堂に籠もって戦勝を祈願し、その神意を得て、諸将にも誓を立てさせたという。そして、軍神謙信率いる戦国最強の上杉軍団は「毘」の旗を翻し、武田信玄北条氏康織田信長らと勇猛果敢に戦った。

あ、犬は無視しておくれw

春日山城 毘沙門堂

四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒

標高180メートルの山頂、天守跡からは、かっての直江津市街と周辺の山々、そして日本海が一望できた。越後国を統一し、産業を興して国を富ませた謙信。他国から救援を要請されると拒むことなく兵を出し、「義」のために戦ったという謙信。領土拡張、天下取りなどの野心は抱かなかったという謙信は、どんな思いで、この景色をみつめていたのじゃろうか。

手取川の戦いで柴田勝家軍を破った上杉謙信は、天正5年(1577年)12月23日、春日山城で大動員令を発している。この遠征が、 上洛して織田信長と決戦する ためであったのか、関東再への再侵攻のためであったのか、それは諸説あるようじゃ。

しかし、翌天正6年3月月9日、城内の厠で倒れ、3月13日未明に没した。享年49。

四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒

謙信は大の酒好きだったそうで、味噌や梅干を肴にひとり手酌で飲んでいたそうじゃよ。 

なお、春日山には、上杉景勝上杉景虎の屋敷跡もある。ご存知のとおり上杉謙信は生涯不犯を貫いたので、実子はいない。急な死であったことから、謙信は景勝と景虎のどちらを後継にするかを決めていなかったので、謙信の死後、上杉家は御館の乱という血で血を洗う抗争を繰り返す。このため、上杉家は急速に弱体化し、織田信長に滅亡寸前にまでおいこまれてしまう。

もし、あと5年、謙信が生きていたら、戦国史はいささかちがった様相をみせていたかもしれぬのう。

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