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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

日野俊基…秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん

今日は日野俊基について。日野資朝と同じ日野だけど、嫡流は資朝で、俊基は傍流。大河ドラマでは榎本孝明さんが演じていたの。

 

資朝と同じ後醍醐天皇朱子学仲間で、討幕の謀議に加わるようになる。山伏姿で諸国をまわり、反幕府勢力を糾合するという、お公家さんらしからぬバイタリティを発揮した人だ。その甲斐あって、美濃の土岐頼兼、多治見国長らを味方に引き入れることに成功する。

そして、夜な夜な「無礼講」とよばれる怪しげな会を催して討幕計画を練り上げるが、六波羅探題に察知され、正中の変で日野資朝らとともに捕縛される。幸い、そのときは処罰を免れるが、後醍醐天皇も資朝も討幕をあきらめない。

しかし、元弘元年(1331年)、吉田定房の密告により、二度目の討幕計画が露見。資朝は宮中に逃げ込もうとするが、六波羅の兵に捕まり、鎌倉の葛原岡で処刑されてしまう。

秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん

日野俊基の辞世じゃ。

翌正慶2年/元弘3年(1333)、新田義貞軍は、俊基が眠る化粧坂から鎌倉に侵入。5月22日、ワシら北条一門は自害、鎌倉幕府は滅亡し、日野俊基の大願は成就する。その執念、畏るべし。負けたわ…完璧に。

そして時は下り、明治政府南朝を正統とし、日野俊基従三位を追贈され、鎌倉の葛原岡神社に祀られることになる。源氏山にあるというから、来年の桜の時期にでも立ち寄ってみようかね。