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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

伊達政宗さんが小姓の只野作十郎に宛てた恥ずかしいお手紙

筆まめ伊達政宗さんが小姓の只野作十郎に宛てた恥ずかしいお手紙が現代に伝わっている。このお手紙をしたためたとき、政宗さんは50歳を過ぎているんじゃよな。

乙女かw

ということで、全文、貼っておこう。

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 存知よらざるところに、細やかの御文、なお起請をもって承り候通、誠にもって辱しき次第、申すはかえって愚かのように御座候。
さてさて先夜、御酒の上に、また候や、何を申し候や、迷惑千万限りなく候。
そこから貴殿を疑い申す心中も候はば、その品を文にても申し候か、さらずは伝蔵か、または横目の者どもしてなりと申し候て、あきらめも申すべく候が、左様に存ぜず候ゆえ、とかくも申さず候が、酒の上に何と申し候や、夢いさささかも覚え申さず候。 
昔我ら手前へ御出でなきとき、貴様にかの者惚れ申し候よしを、ある乞食坊主が落とし文のうちに書き申し候つる。 
その坊主、そのときより行き方なく走り申し候間、なかなかしやうにたて候。 
さも候わんとは存知候わぬことにて候へども、あまりに貴殿を存知候ゆえに、荒き風にもあてじと存じ候まま、走る馬に鞭とやらん、堅き上にも貴様御心中堅くいたしたく存じ候て、酒乱れの上に申したる物にて候べく候。 
酒の上ながら我ら申すを御聞き候て、恨みに思し召し、かようの仰せわけは一段余儀なく存じ候。 承り候えば、腕を御突き候て、かように血判を御据え候よし、さてもさても苦々しく存じ候。 
我ら存じあわせ候はば、御脇差にもすがり申すべきものを、是非に及ばず候。 せめて我らも指をも切り申し候事か、さらずは股か腕をも突き候て、この御礼は申し候はでかなわぬ事に候えども、早、孫子を持ち申す年ばえに御座候へば、人口迷惑、行水などのとき、小姓どもにも見られ申し候へば、 「年頃に似合わぬことをつかまつり候」 と言われ申し候へば、子どもまでの傷と存じ候て、心ばかりにて打ち暮らし申し候。 
ご存じ候ごとく、若き時は酒の肴にも、腕を裂き、股を突き、その道はたやすくつかまつり候事にて候えども、今ほどは世の笑い事になり候てはと、控え申し候。 
日本の神々、腕・股を突き候事やばしく存じ候て控え申すにては御座なく候。 
我ら腕・股を御覧候え。あまり空き間もなき様に、昔はさようの事好き候てつかまつったる我らに候えども、是非に及ばず候。 
あまりあまり御心元なく候間、伝蔵見申し候ところにて起請を書き、即ち血判つかまつり候て進じ申し候。 
これにて聞こし召しわけ、今日よりいよいよ御心おきなく、御情けにもあずかり候はば、海山忝く存ずべく候。 
なおなお伝蔵申すべく候。 恐々謹言。 

正月9日 政宗(花押)

返す返す辱しく候辱しく候。 我ら心中も聞こし召しわけ給うべく候。

以上。

政宗から浮気の疑いをかけられた作十郎は、自身の潔白を証明するために、みずからの腕を刀で突き、その血で血判を押した起請文を書く。

ワシはよく知らんが、衆道の関係を結んだ者の間では、自分の腕や股を刀で突いてその血をもって、愛の証をたてたらしい。それにしても作十郎の起請文を受けとった政宗さんの慌てぶり……うーん、恥ずかしいw

いくら筆まめな武将とはいえ、家臣も子孫もこういうのは処分しといてやるのが武士の情けだと思うのじゃがなw