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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

武田勝頼は「日本にかくれなき弓取り」。断じて「愚将」ではないぞ

大河ドラマ「真田丸」がはじまったのう。昨年の「花燃ゆ」が「花燃ゆ」だったうえに、戦国モノ、真田モノ、三谷幸喜脚本で堺雅人さん、大泉洋さんの出演ということで、NHKとしては、まさに背水の陣となる大河ドラマといえるじゃろう。

初回の感想は……まあ、顔見せというか、前振りということもあり、どうこういうのはまだ早いかもしれぬ。若干の軽さというか、コメディタッチは三谷幸喜さんならではということで、これは好みの問題だし、不問にふそう。それより、今日、魅せてくれたのは平岳大さんの武田勝頼じゃな。

武田勝頼

武田勝頼(大河ドラマ「真田丸」)

武田勝頼はけっこうがんばっていた!</2>

武田勝頼といえば、父・信玄が手塩にかけてつくりあげた武田騎馬隊を、長篠の合戦で無謀な突撃を繰り返して壊滅させ、武田家を滅ぼしてしまった猪突猛進で思慮の浅い武将として語る人が多い。それでも近年では再評価がなされるようになり、野戦の指揮官としてはかなり有能であったといわれておる。

じっさい、勝頼は、信玄が落とせなかった堅城・高天神城を陥落させて東遠江を平定し、東美濃にも進出して版図を広げたりしている。長篠の戦いで敗れたのは確かに痛手ではあったが、それでもまだ、一定の勢力を有しており、その実力は侮り難いものがあったはずなんじゃ。なお長篠の合戦については以下にも書いたのでよろしければご一読くだされ。

じゃが、長篠の合戦後、北条氏との同盟を破綻させたことは結果論かもしれぬが、勝頼にとっては致命的なミスじゃったかもしれぬ。もし、御盾の乱で北条氏の血縁の上杉景虎を勝頼が支援し、上杉景勝を葬っておれば、武田・北条・上杉の同盟が成って織田・徳川と対抗できたかもしれぬ。毛利輝元のもとへ身を寄せていた前将軍の足利義昭もそれを望んでおったし、その同盟が成れば、あのような惨めな最期を迎えることはなかったかもしれぬ。まあ、「信長の野望」レベルの話かもしれないがな。

その後の勝頼は、上杉氏、佐竹氏らと同盟を組んで北条領に攻め込むいっぽうで、織田信長との和睦を試みている。織田信長の養女との間に生まれた嫡男・信勝を元服させ、人質だった織田信房(御坊丸)を返し、織田家との融和につとめたのじゃ。そのうえで勝頼は新府城を築き、甲府から拠点を移し、防衛体制を固めている。

じゃが、けっきょく信長との和睦は成らなかった。天正9年(1581)、徳川家康が高天神城に攻め込んでくる。信長を刺激することを恐れた勝頼は援軍を派遣せず、その結果、国人衆の支持を失ってしまう。そして信長は正親町天皇に勝頼を「東夷」として認めさせ、ついに武田討伐に乗り出すというわけじゃ。

天正10年2月、新府城築城のための負担増大への不満もあり、信玄の娘婿で外戚の木曾義昌が織田信長に寝返ってしまう。そして織田信忠、徳川家康、北条氏直が武田領に同時に進行を開始するのじゃが、そのとき間の悪いことに浅間山が大噴火し、「武田の命運もいよいよ尽きたか」と領民たちは口々に噂をしたという。けっきょく武田軍は織田軍の前になすすべもなく敗走し、穴山梅雪や小山田信茂ら重臣に裏切られ、嫡男・信勝とともに天目山に自刃する。天正10年3月11日、享年37。

運もなかった「強過ぎたる大将」

武田勝頼

天目山、武田勝頼の最期

江戸期に成立した「甲陽軍鑑」では、勝頼を「強過ぎたる大将」とし、それゆえ思慮に欠け、特定の家臣を寵愛して武田家滅亡の原因をつくったとされる評しておる。まあ、そういう面もたしかにあったんじゃろうが、さりとて「愚将」と呼ぶのはちょっとかわいそうではないかと思うぞ。というのも、長篠の合戦で敗れた後も、それなりにがんばっているし、そもそも上杉や毛利、長曾我部だって、本能寺の変がなければ武田と同様、滅ぼされていた可能性が高いわけじゃからな。そういう意味で勝頼は、他の武将に比べて「運」がなかっただけではないじゃろうか。織田信長も勝頼の首をみたとき、「日本にかくれなき弓取りなれ共、運がつきさせ給ひて、かくならせ給ふ物かな」と語ったと言われておるしな。

今夜の「真田丸」では、草刈正雄さん演じる真田昌幸が自らの居城・岩櫃城で織田軍を迎え討つように進言。じゃが、勝頼は信幸と信繁兄弟を人目を忍んで訪れ、「岩櫃にはいかない」「父・信玄公がつくったこの国を捨てることはできない」と告げるシーンがあった。勝頼は信玄の四男でしかも側室・諏訪御料人の子。もともとは諏訪氏の後継者であり、甲州ゆかりの家臣団には、家督相続を納得しない者もあり、それが武田滅亡の遠因になったと指摘する人もおる。そんなことを考え合わせながらみると、このシーン、なかなか深いものを感じたぞ。平岳大さんは勝頼の悲哀を見事に演じてくれたが、じっさいの勝頼もきっと、こんな感じだったんじゃろう。

おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山のは 

勝頼の辞世。わしの場合は、それでも北条一門がみな、死出の旅路の共をしてくれたが、勝頼はみなに裏切られてしもうたからな、辛かったじゃろうよ。諏訪氏はわが北条氏の御内人の縁につらなる家系ということもあり、よけいに勝頼の悲壮感に感じ入ってしまったよ。

視聴率がどうだったのかはわからんが、大河ドラマ「真田丸」は、まずまずのスタートだったのではないじゃろうか。今年は1年、楽しめそうじゃよ。