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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

箱根神社…源頼朝公推奨、二所詣に行ってきたぞ(後編)

源頼朝公推奨の二所詣。伊豆山神社のあとは箱根神社へ。十国峠までは天気はよかったんじゃが、箱根の空はどんより。まあ、目的はあくまでも参拝なので問題はなし、なんじゃが。

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箱根神社の御祭神は、瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊。第五代孝昭天皇の御代に聖占上人が箱根山の駒ケ岳から、同主峰の神山を神体山としてお祀りして以来、関東における山岳信仰の一大霊場となった(箱根神社HPより)。

『吾妻鏡』には、石橋山の合戦で敗れた源頼朝公を箱根権現別当の行実、弟の永実が助けたとある。行実は永実に命じて土肥山中に逃れた頼朝公一行に食事を届けさせた。そして、永実は自らの僧坊に頼朝公らをかくまうのじゃが、山木兼隆の祈祷師だった良暹が頼朝公を襲撃しようとしたため、頼朝公は再び土肥の山中に戻り、真鶴から房総半島へと逃れている。

そうした経緯もあって、頼朝公は伊豆山神社とともに箱根神社を格別に尊崇するようになる。そして文治4年の正月、はじめての二所詣が行われたというわけじゃ。『吾妻鏡』から、このあたりの記述を拾ってみると……

明春正月、二所御参詣有るべきの間、今日供奉人を差し定められ、各々潔斎すべきの由仰せ下さる。筑後権の守俊兼・平五盛時等奉行すと
(文治3年12月27日)

二品(源頼朝)鶴岡宮に御参り。還御の後、二所御精進を始めらる
(文治4年1月16日)

二所御進発近々の間、甲斐・伊豆・駿河等の国の御家人等、山路を警衛すべきの由、兼日に仰せ付けらるると雖も、今日重ねて触れ仰せらる。これ與州の在所未だ聞かざるの間、殊に用意を廻らしめ給うに依ってなり
(1月18日)

二品鎌倉を立ち、伊豆・箱根・三島社等に参詣せしめ給う。武州・三州・駿州・源蔵人大夫・上総の介・新田蔵人・奈胡蔵人・里見の冠者・徳河の次郎等扈従す。伊澤の五郎・加々美の次郎・小山の七郎以下随兵三百騎に及ぶ。三浦の介義澄の沙汰として、浮橋を相模河に構うと
(1月20日)

ちなみに、ここにあるとおり、二所詣とはいうものの、一行は伊豆山、箱根に加えて三島社にも参拝するのがふつうなので、三所詣でもいいわけなんじゃが、三島社はついでなのかな。このあたりのことは、わしもよくわからんのじゃよ。

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本殿へと向かう杉木立ちの参道の中ほどに曾我神社がある。仇討ちで有名な曽我兄弟の弟・曾我五郎時致(筥王)は、一時期、稚児として箱根神社に預けられていたんじゃが、父の無念を晴らすべく、杉の木を相手に武術の稽古に励んでいたと伝えられておる。

なお、曾我の仇討ちについては、長くなるのでこちらをご覧いただけると、ありがたいです。

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ということで、源頼朝公推奨の二所詣のミッションは無事終了。今回、伊豆山神社も箱根神社も、とつぜん思い立ってふらりと参拝してきたわけじゃが、ご利益、あるよね、きっと。