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うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

岐阜の崇福寺に立ち寄り、織田信長父子廟と血天井で手を合わせてきたぞ

長良川競技場のそば近くにある崇福寺本能寺の変明智光秀に討たれた織田信長・信忠父子の廟所がここにある。せっかくなのでキックオフ前にに立ち寄ってきた。

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寺伝によれば、文明元年(1469)土岐成頼と斎籐長弘により開山。美濃を奪った信長は崇福寺を保護し、長男・信忠の母・吉乃の祈願所となって以後、織田家の菩提を弔い続けている由緒あるお寺じゃ。ちなみに武田氏滅亡の折、「心頭を滅却すれば火も自ずから凉し」との言葉を残し、織田に焼き殺された快川紹喜も住職を努めていたというから、歴史というのはじつに皮肉なもんじゃな。

本能寺の変で信長・信忠が明智光秀に討たれると、信長の側室・お鍋の方が、その遺品を寺内に埋め、位牌を安置させたとか。これが現在、本堂の裏にある「織田信長父子廟」じゃ。石牌は一つの石牌を左右半分づつ、信長・信忠父子の法名が刻まれていた。隣には位牌堂があり、ここに父子の位牌が安置されている。長良川競技場のスタジアムDJの声が聞こえる中、静かに手を合わせる。

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200円を払うと本堂の中を拝観できる。緑と青のユニフォーム姿でいかがなものかと一瞬思ったが、お寺のかたはとくに気にしている様子もないので、しっかりとみせていただく。

本堂には書状や肖像画清洲城の鯱、ポルトガル人からもらったという櫓時計など、信長ゆかりの品がある。粗末にされた古道具が恨みを晴らすため妖怪になり、成仏する絵巻「付喪神絵巻」もあったぞ。

本堂の案内音声を聴きながら、最後はハイライトともいえる「血天井」へ。関ヶ原の戦い前夜、織田秀信(信忠の子、三法師)は西軍に与したため、岐阜城は東軍に攻められて落城。秀信は許されて高野山送りとなるが、将兵たちは自害して果て、そのときの血染めの床板を本堂の天井に張って菩提を弔ったという。鎖かたびらた鎧ひただれ、手の跡とお思しき血痕もあり、じつに生々しい。

織田信長ほどの人物ともなれば、その墓所、廟所の類は京都を中心に全国10箇所以上もあるが、お鍋の方によって建てられたこと、父子揃って鎮魂されていることから、そして天下布武の出発点となった岐阜にあることなどから、信長信忠にとっては、ここがいちばん安眠の地のような気がするのう……