北条高時.com

うつつなき太守(なりきりです)による歴ヲタの備忘録

源実朝公御首塚〜なぜ、鎌倉で殺された実朝の首が秦野にあるのか

所用があって秦野に出向いたついでに、源実朝公の御首塚がこの辺りにあったことを思い出して立ち寄ってきた。今日1月27日は(旧暦で)実朝公のご命日じゃ。

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実朝の御首塚を秦野に運んだ武常晴

そもそも、なぜ、鎌倉で公暁に殺された実朝公の御首が秦野に葬られているのか。『吾妻鏡』によると御首は見つからなかったので、御鬢と亡骸を勝長寿院に入棺したと記されている。

出でいなば 主なき宿と成にとも 軒端の梅よ 春をわするな

暗殺当日、実朝はこの歌を詠み、整髪してくれた宮内公氏に御鬢を渡したという。これを御首の代わりに埋葬したというわけじゃ。

じゃが、慈円の『愚管抄』によれば、実朝の首は岡山(鶴岡八幡宮の北の丘陵)の雪の中から見つかったとある。これが秦野まで運ばれたということなんじゃろうか。

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『新編相模風土記稿』(1841)東田原の項には、この御首塚の由来が記されている。

源実朝墓 村の中程に在 塚上に五輪塔建り 承久元年 武常晴 実朝の首級を当初に持来り

武氏は三浦郡武(現在の横須賀市武)を本拠とする三浦氏の一族。常晴の母は実朝の乳母であったというから、実朝に近侍していたとしてもおかしくない。

事件後、三浦義村公暁を討ち取るために家中から手練れの者を使わしたが、武常晴はそのメンバーの一人だったのじゃろう。そんな常晴が必死になって御首を雪中から探し出したという話は納得がいくのじゃが、なぜ秦野に埋葬したかはさっぱりわからん。ふつうにであれば、義村のところへ持っていくじゃろう。

ご存知の通り、三浦義村北条義時公とともに実朝暗殺の黒幕と疑われている人物。常晴がわざわざ秦野まで御首を運んだ理由は、このことと関係があるんじゃろうか。

ちなみに、当時、このあたりを治めていた波多野忠綱じゃ。忠綱は和田義盛の乱では北条に味方したが、乱後、その武功をめぐって三浦義村北条義時公ともめた。実朝公はそれをどうにか仲裁したのじゃが、忠綱と義村の間には遺恨が残ったといわれる。

武常晴が秦野に首を持ち去ったのは、このあたりの経緯と関係があるのかもしれぬ。真相は歴史の闇の中じゃが、興味深い話ではある。

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もっとも、わし自身は実朝暗殺は公暁の単独犯行であり、黒幕なんぞいないと思っおる。その件については、わしのブログの過去記事を読んでもらえれば幸いじゃ。

takatokihojo.hatenablog.com

なお、御首塚の近くには実朝公の三十三回忌に波多野忠綱が退耕勇行を迎えて創建した臨済宗金剛寺がある。本堂には、実朝像が安置され、本尊の阿弥陀如来は実朝の念持仏とされる。武常晴の位牌もあるという。

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波多野金槐植物苑

ところで、歌人としても有名な源実朝。御首塚の隣には実朝研究家で歌人佐佐木信綱が揮毫した実朝公の歌碑がある。

ものいわぬ 四方のけだものすらだにも あはれなるかなや 親の子をおもふ

ということで、まずは、けだものと歌碑を記念撮影。

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首塚の敷地内には、地域の人たちの手作りによる「波多野金槐植物苑」があった。これは毎年11月23日に催される「実朝まつり」が第30回の節目を迎えた2017年に作られたもの。その年は実朝公800回忌でもあった。

首塚を囲うようにして30種類の植物が植えられ、それにちなんだ実朝公の歌が紹介されている。せっかくなので、実朝公の和歌をメモしておく。

(槐)山は裂け 海は浅せなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも

(なでしこ)ゆかしくば 行きても見ませ 雪島の 巖に生ふる 撫子の花

(笹)笹の葉に 霰(あられ)さやぎて 深山辺は 峰の木枯らし しきりて吹きぬ

(松)鶴の岡 あふぎて見れば 峰の松 梢はるかに 雪ぞつもれる

オミナエシ)さを鹿の 己が棲む野の 女郎花 花にあかずと 音をや鳴くらむ

(オイシバ)消えなまし けさ尋ねずば 山城の 人来ぬ宿の 道芝の露

(フジバカマ)藤袴きて 脱ぎかけし 主や誰 問へどこたへず 野辺の秋風

(宮城野萩)風を待つ 今はたおなじ 宮城野の もとあらの萩の 花のうへの露

(菊)濡れて祈る 袖の月影 ふけにけり 籬(まがき)の菊の 花のうへの路

コウヤマキ)五月雨の 露もまだひぬ 奥山の 真木の葉がくれ 鳴くほととぎす

(竹)なよ竹の 七のももそら 老いぬれど 八十の千節は 色も変わらず

アカメガシワ)うちなびき 春さり来れば ひさざ成ふる 片山かげに 鶯ぞ鳴く

(マユミ)しらまゆみ 磯辺の山の 松の葉の 常盤にものを 思ふころかな

熊笹)笹の葉は 深山もよそに 霰降り さむき霜夜を ひとりかも寝む

(菖蒲)五月雨に 水まさるなし あやめ草 末葉かくれて 刈る人のなき

(梅)君ならで 誰にか見せむ わが宿の 軒端ににほふ 梅の初花

(桂)あはれまた いかにながめむ 月のうちの 桂の里に 秋は来にけり

(山吹)春雨の 露のやどりを 吹く風に こぼれてひほう 山吹の花

イチョウ)ゆきめぐり またも来て見む ふるさとの 宿漏る月は われを忘るな

(ウツギ)神まつる 卯月になれば 卯の花の 憂き言の葉の 数やまさらむ

(コナラ)下紅葉 かつはうつろふ ははそ原 神無月して 時雨ふれりてへ

(むろ)みさごぬる 磯辺に立てる むろの木の 枝もとををに 雪ぞつもれる

(ヒノキ)まきもくの 檜原の嵐 冴えさえて 弓月が岳に 雪降りにけり

(杉)東路の 関守る神の 手向けとて 杉に矢樹 足柄の山

(萩)道の辺の 小野の夕霧 たちかへり 見てこそゆかめ 秋萩の花

(すすき)虫の音も ほのかになりぬ 花すすき 秋の末場に 露や置くらむ

(桜)桜花 咲き散る見れば 山郷に われぞ多くの 春は経にける

(藤)ふるさとの 池の藤波 誰植えて むかし忘れぬ かたみなるらむ

ありゃ?全部メモったつもりじゃが、ちょっと足りんぞ。こりゃ、もう一度行かねばならぬな。

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