鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の日々の備忘録。湘南ベルマーレを応援しています。

さだまさし「飛梅」を聴きながら、太宰府天満宮に参拝してきた。

太宰府といえば天満宮菅原道真さん、そして飛梅伝説。ということで、道真さんのことと旅日記じゃよ。

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菅原道真飛梅伝説

まずは菅原道真さんについておさらい。藤原時平の讒言により大宰府へ左遷されることになった道真さん。出発前に日頃から愛でてきた庭木と別れを惜しんだんじゃが、その時に詠んだのが有名なこの歌じゃ。

東風吹かば
にほひをこせよ 梅花
主なしとて 春を忘るな

東風が吹いたら芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。主人が都にいなくても、春を忘れてはならないよ。

その後、道真さんを慕う庭木たちのうち、桜は悲しみのあまり朽ちてしまう。じゃが、松と梅は道真さんの後を追って空を飛んだ! ところが松は途中の摂津国(「飛松岡」)で力尽きて、そこに根を下ろす。いっぽう梅は、道真さんが暮らす大宰府まで辿り着いた。これが飛梅伝説じゃ。

その飛梅は現在、太宰府天満宮のご神木になっている。わしが訪問した時には季節じゃなかったので、とりあえずWikiから拝借した写真を載せておく。

飛梅

飛梅

太宰府天満宮と御神牛

太宰府天満宮は、菅原道真さんの墓所に社殿を造営し、その御霊を祀る神社。 学問の神様として有名じゃ。今では、京都の北野天満宮と並んで全国天満宮の総本社として広く世の崇敬を集め、年間約1000万人の参拝者が訪れている。

道真さんが没したとき、はじめは別の地に埋葬しようとしたらしい。ところが、葬送の牛車がどうしても動かない。これは道真さんの意志によるものに違いない。ということで、この地に遺骸を葬ったそうじゃ。

ちなみに道真さんは承和12年6月25日生まれで干支は「乙丑」。亡くなった日は延喜3年2月25日の丑の日だったとか。 なにかと牛に縁のある御仁だったんじゃな。

太宰府天満宮の御神牛

太宰府天満宮の御神牛

太宰府天満宮の御神牛がいた。「頭を撫でると賢くなれる」とか「けがや病気がある場所を撫でると快復する」と、信仰の対象となっているありがたい牛じゃ。わしもつむりのあたりをしっかりと撫でておいたぞ。

道真さんの怨霊が大暴れ 

道真さんの死後、都では疫病や異常気象など不吉な事が続いた。さらに、道真さんを陥れた藤原時平が39歳の壮年で死亡したことから、都人はこれらを「道真の祟り」と噂した。そこで醍醐天皇は勅使を大宰府に下向させ、道真さんを「天満大自在天神」として安楽寺廟に祀り、怨霊の鎮魂につとめた。

じゃが、道真さんの怨霊はまったく収まらない。皇太子保明親王、その遺児慶頼王が相次いで死去。延長8年(930)6月には清涼殿に落雷があり、藤原清貫が衣服に引火して焼死するなど、多くの死傷者を出した。この事件の衝撃がもとで醍醐天皇は病床に伏し、やがて崩御。恐怖した朝廷は、道真さんの罪を赦すと共に贈位を行い、子どもたちは流罪を解かれ、京に呼び返している。

清涼殿落雷事件から、道真さんの怨霊は雷神とされるようになり、天神信仰は急激に広まった。そして道真さんが優れた学者・詩人であったことから、いつしか「学問の神様」として尊崇を集めるようになったんじゃよ。

『北野天神縁起絵巻』に描かれた、清涼殿落雷事件

『北野天神縁起絵巻』に描かれた、清涼殿落雷事件

ちなみに「ダザイフ」には「大宰府」と「太宰府」の表記があることをご存知じゃろうか。じつはわしもブログを書くまで気がつかなかった。調べてみると、古代律令時代からの役所や遺跡は「大宰府」とし、中世以後の地名や天満宮については「太宰府」と使い分けているらしいぞ。これ豆じゃな。

太宰府天満宮を歩く

ということで、さだまさしさんの「飛梅」を聴きながら、太宰府天満宮にお参りじゃ。 なお、太宰府政庁の訪問記はこちらを読んでいただければ幸いである。 

まずは心字池に向かって歩く。

心字池にかかる三つの赤い橋は
一つ目が過去で二つ目が現在(いま)
三つ目の橋で君が転びそうになった時
初めて君の手に触れた僕の指

橋を渡りながら心身を清めて歩く。3つ目の橋は未来をあらわす。ここは太鼓橋になっているから、わしもこけそうになった。未来でこけるのは、なんか嫌じゃな。 

太宰府天満宮

太宰府天満宮

楼門をくぐり本殿へ。本殿は五間社流造で屋根は檜皮葺。桃山時代の建築で、兵火で消失していたのを小早川隆景さんが再建したとのこと。

手を合わせた後で君は御籤を引いて
大吉が出までと もう一度引き直したね

御籤を何度も引く気持ち。わしにもわかるぞ。未練ではない。覚悟を決めるため、という場合もあるのじゃ。本能寺の変の直前、愛宕山に登った明智光秀さんのようにな。物事に真剣であればあるほど、自ずと神仏に祈るようになるもんじゃ。

登り詰めたらあとは下るしかないと
下るしかないと気付かなかった
天神様の細道

たしかに、登り詰めたら、あとは下るしかない。恋愛に限らず、人生とはすべからくそういうものじゃ。じゃが、得意の絶頂にいる人は、このことをつい忘れがちではある。せめて下りはゆるやかであってほしいものんじゃな。これ、太守の座から転げ落ちて腹切ったわしがいうと、説得力があるじゃろう?

あなたがもしも遠くへ行ってしまったら
私も一夜で飛んでゆくといった 
忘れたのかい飛梅

神木の「飛梅」は本殿に向かって右側にある。ちなみに、参拝した翌日の4月28日は、たしかHKT48指原莉乃さんの卒業コンサートだったはず。「ジワるDAYS」にも、「僕が全力で駆けつけてあげる、だから心配しなくたっていいんだよ」という歌詞があったのをふと思い出した。いや、さださんの歌とは雰囲気がぜんぜん違うけど。

太宰府天満宮 楼門

太宰府天満宮 本殿

太宰府天満宮 本殿

太宰府天満宮を参拝するなら、やはり梅ヶ枝餅は食べておかねばなるまい。参道でもそこら中で売っているから、食べないというわけにはいかぬじゃろう。

裏庭を抜けてお石の茶屋へ寄って
君がひとつ 僕が半分
梅ヶ枝餅を食べた

梅ヶ枝餅は焼きたてに限る。なお、梅ヶ枝餅は焼き菓子であり、まんじゅうではないので念のため。

梅ヶ枝餅

梅ヶ枝餅

さだまさしさんの「飛梅」の説明はWikipediaより。

太宰府天満宮を舞台に、『大鏡』等に記されている菅原道真の伝説、特に飛梅伝説をモチーフとした楽曲である。さだの得意とする日本の古典的題材作品に連なる最初の作品。この作品で太宰府天満宮宮司一家と親しくなり、2002年の菅公御神忌1100年大祭で、谷村新司南こうせつなどの親睦のある歌手達と共に太宰府でコンサートを行い、そこで太宰府がテーマである「飛梅」「都府楼」を歌った。
編曲:渡辺俊幸、弦編曲:小野崎孝輔

1977年のアルバム「風見鶏」に収録されている曲じゃ。なんと、今から40年以上も前なんじゃな。歌詞がなんとも切ないのう。

あの日と同じ様に 今鳩が舞う  
東風吹けば 東風吹かば君は
何処かで想いおこしてくれるだろうか
大宰府は春 いずれにしても春

出会いもあれば別れがある。たぶん、あの人は忘れているだろう。じゃが、それでよいのである。いま、幸せであるならば。

ということで、すっかり書き散らかしてしまったが、令和を目前にした春の太宰府天満宮のレポートはこれでおしまい。

飛梅

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飛梅<とびうめ>

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