鎌倉ではたらく太守のブログ

愛犬家で歴オタ、うつつなき者の備忘録。湘南ベルマーレを応援中。

源実朝暗殺の黒幕は北条義時か、三浦義村か、それとも…

源実朝公暗殺事件について、昨日の続きを好き勝手に書いていこうかと思う。なお、事件のあらましは、こちらをご覧くだされ。

takatokihojo.hatenablog.com

そもそも、公暁の単独犯行ではいけないのか?

さて、実行犯が公暁であることはまちがいなんじゃが、問題は単独犯行なのか、黒幕が存在したのか? ということじゃろう。

というのも、いくら公暁が実朝公を恨んでいたとしても、殺害後の後ろ盾もなく軽々に犯行に及ぶのか、という疑問が残るからじゃ。

ただ、結論からいうと、ワシは単独犯は十分にありえると思っておる。なんせ、あの源頼家公の御子じゃぞ。気性も激しそうじゃし、腕っ節にも自信はあったはず。後先のことなど考えず、遺恨を晴らそうとしてもなんら不思議はないと思うがのう。

とはいえ、それで「はい、おしまい」では、おもしろくないので、いくつかある黒幕説についてもふれてみることにしよう。

 

 

やはり怪しいのは北条義時

まず、よくいわれるのが、北条義時黒幕説。「事件の結果、一番得をしたのは誰か」という犯罪捜査の常道からいけば、義時公は黒幕として有力かもしれぬ。おまけに北条氏はいかにもそういう陰湿なことをやりそうな印象があるしね。 

ただ、この事件で公暁は実朝公と一緒に義時公も殺害しようとしているんじゃよ。義時公が黒幕というのはおかしくないか? 

義時公が疑われるのは、事件直前に体調不良で難を逃れたというのが、偶然にしては出来すぎだ、ということかもしれん。じゃが、こういうことはあるんじゃよ。義時公が難を逃れたのは、神のご加護があったからなんじゃ。このことは「吾妻鏡」にもちゃんと書いてあるじゃろう。

7月9日 戊寅 晴
未明に右京兆(義時)大倉郷に渡御す。南の山際に於いて便宜の地を卜す。一堂を建立し、薬師像を安置せらるべしと。これ昨将軍家鶴岡に御出の時参会せらる。晩に及び亭に還 御し休息せしめ給う。御夢中に薬師十二神將の内戌神御枕上に来たりて曰く、今年の神拝無事なり。明年拝賀の日、供奉せしめ給うこと莫れてえり。御夢覚めての後、尤も奇異を為す。且つはその意を得ずと。而るに御壮年の当初より、専ら二六の誓願を恃み給うの処、今霊夢の告げる所、信仰せざるべからざるの間、日次の沙汰に及ばず、梵宇を建立せらるべきの由仰せらる。

義時公が御堂を建立して薬師如来を安置しようとしたところ、なんと「来年の神拝は供奉しないように」と、薬師十二神将の戌神様が忠告されたのじゃ。この御堂の建立に当たっては、北条泰時公からも、民が困窮しているときにいかがなものか、と苦言を呈されたのじゃが、義時公は「これ一身安全の宿願なり」といって、自費で御堂を建立したんじゃ。こうした信心深い態度のおかげで、事件当日、戌神様のご加護もあり、体調不良となって、難を逃れることができたというわけじゃな。現代人には信じられんかもしれぬが、中世においてはこういうことはたくさんあったんじゃよ。

また、慈円の「愚管抄」には、義時公は「中門にとどまれ」という実朝公の指示で、現場に居合わせなかったとある。昔のことなんで、細かい事実はよくわからんが、もしそうだとすれば、義時公はシロということになるわな。

そもそも、実朝公は頼家公とはちがって、その存在は北条氏にとって大事な権力基盤じゃったはず。しかも、この時点で実朝公亡き後の次の「駒」を北条氏はもちあわていないわけじゃし、義時公が黒幕というのは常識的に考えてもありえんじゃろう。

 

黒幕は三浦義村?

となると、事件の経緯からして黒幕として怪しい人物は、やはり三浦義村ということになるじゃろう。作家の永井路子さんも三浦義村黒幕説を唱えておられる。

義村の妻は公暁の乳母で、子の駒若丸は公暁の門弟。義村公暁との縁も深いし、なにより事件後、公暁は義村を頼っているわけじゃ。疑惑の目を向けられてもしかたがないじゃろう。

しかも、将軍暗殺という一大事で、下手人は仮にも源氏の血筋で実朝の猶子になっていた公暁なんじゃから、ふつうは生け捕りにして事情聴取すると思うんじゃが、死人に口なしと殺してしまったのはいかにも怪しい。

つまり義村は、義時公を亡きものとし、自ら執権になろうとしていたが、義時暗殺に失敗したことを知り、公暁を殺して口封じをしたというんじゃな。じっさい、三浦義村という男は、かなりの権謀家、食えない人物じゃから、これくらいはやりかねない。

じゃが、この説の弱点は、もし義村が黒幕だとしたら、事件後、なぜ義時公は義村を速やかに討たなかったのかということじゃ。証拠不十分だったから? いやいや、証拠なんかなくても難癖をつけてでも殺るときは殺るのが北条氏じゃ。しかし、義時公は義村を討たなかった。まあ、ここで北条と三浦がドンパチやると、鎌倉幕府は不安定化し、後鳥羽上皇に付け入られるから一時休戦だったのかもしれない。じっさい、この後、北条と三浦は宝治合戦で争っているからね。

これ三浦義村黒幕説もありえるかもしれんのう。 

北条義時・三浦義村の共謀か

ただ、ワシは当時、義時公と三浦義村は、かなりの蜜月関係じゃったように思うんじゃよ。というのも、和田合戦でも承久の乱でも、義村はつねに義時公に味方をしておる。御家人の間からは「三浦の犬は友を食らうぞ」と罵られてまでも、つねに義時との協調関係をくずさなかった義村。とういことで、北条義時三浦義村共謀説というのも、じつはいろんな人が支持しておるようじゃ。

というのも、この時期、北条の傀儡にみえた実朝公は、後鳥羽院、朝廷とのつながりを強めながら、独自の政治的パワーを発揮しはじめており、御家人たちの不満がたまっていたというのじゃ。そこで北条と三浦が組んで、公暁をそそのかして実朝公を暗殺させ、ついでに実朝公と後鳥羽上皇のパイプ役だった源仲章を殺害したというのじゃ。

じっさい、実朝公暗殺後、鎌倉と京都の協調関係は崩れており、2年後には承久の乱がおこっておる。そして、鎌倉は京都を牛耳るほどのパワーと安定をもつわけじゃから、大きな歴史の流れを俯瞰すると、この説もありえんわけではない。

じゃが、こういう陰謀史観を言い出すと、それはもうきりがないと思うぞ。ほかにも後鳥羽上皇黒幕説というのもあるようじゃしな。

しつこいようじゃが、単純に公暁単独犯行説というのはダメなんじゃろうか。北条義時公にしろ、三浦義村にしろ、後鳥羽上皇にしろ、黒幕探しはネタとしては面白いんじゃが、「疑わしきは罰せず」というのは基本じゃしな。じっさい、さいしょにも書いたように、公暁ならひとりでもやりかねないと思うし……というのが、ワシの結論じゃ。

 

追記

とはいいながら……永井路子さんの小説を読みかえし、また、「草燃える」での松平健さんの怪演をみると、やっぱり北条義時公がなんら関与してないということはありえないよな、じっさいのところ。

みなさま、いかがかのう?